菊原初子(読み)きくはらはつこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊原初子」の意味・わかりやすい解説

菊原初子
きくはらはつこ
(1899―2001)

地歌野川流宗家、生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)家。本名布原初。大阪生まれ。大検校(けんぎょう)の祖父菊植明琴、父菊原琴治(ことじ)(1878―1944)の指導のもと、地歌、生田流箏曲および野川流三味線組歌、生田流箏曲組歌全曲修得、さらに菊原家のみに伝わる稀(き)曲の全曲を今日に伝えた。1957年(昭和32)無形文化財として地歌が選ばれ、『比良小松』『冬草(ふゆくさ)』など数曲を記録保存した。その後も、正確、確実な芸風で、レコード『箏曲と地歌の歴史』(1961)など多数を完成。79年には地歌の重要無形文化財保持者認定された。

[平山けい子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊原初子」の解説

菊原初子 きくはら-はつこ

1899-2001 昭和-平成時代の地歌・箏曲家。
明治32年1月17日生まれ。菊原琴治(ことじ)の長女。菊植明琴の孫。父にまなぶ。野川流三弦組歌全曲と古生田流箏組歌全曲を伝承。また琴友会を継承して主宰谷崎潤一郎の「春琴抄」のモデルとされる。昭和54年人間国宝。平成13年9月12日死去。102歳。大阪出身。本名は布原初。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「菊原初子」の意味・わかりやすい解説

菊原初子
きくはらはつこ

[生]1899.1.17. 大阪
[没]2001.9.12. 大阪
地歌箏曲家。本名布原初。菊原琴治の娘。祖父の菊植明琴および父に師事し,古典演奏の伝承者として 1979年重要無形文化財保持者に認定。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菊原初子の言及

【菊原琴治】より

…盲人の地歌箏曲家。大阪出身。本名は布原徳太郎。2世菊原吉寿一(後名菊植明琴,1835‐1913)の養子となり,師事のかたわら,菊仲繁寿一から野川流三味線組歌を皆伝される。菊筋の代表者として,昭和前期まで活躍。大阪市立盲啞学校教員,当道音楽会本部長などを歴任。文部省に女学校箏曲科設置の陳情運動も行い,その教員養成を目的とした箏曲音楽学校の初代校長を務めた。晩年は三味線組歌の保存と普及に力を入れ,録音も行ったが,病没。…

【地歌】より

…箏曲化されていない楽曲,あるいは箏の編曲はあっても,三味線の比重の強い楽曲を,狭義の地歌とした場合には,その伝承者は大阪に多いことになる。北派ともいわれる菊の字を姓に含む菊筋の演奏家では,菊原琴治の娘の菊原初子(1899‐ ),南派の富の字を姓に含む富筋の演奏家では,東京に進出した富崎春昇とその門下の富山清琴(1913‐ )が,いずれも人間国宝に指定された。 別に九州にも独自の伝承が行われ,とくに三味線の技巧的発達をくふうするものが多かったが,明治以降に,長谷幸輝(ながたにゆきてる)や,その門下の川瀬里子(1873‐1957)などが東京に移住してからは,東京の生田流箏曲家は,この九州系の地歌三味線家でもある者が主流を占めるに至った。…

※「菊原初子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android