菊崎検校左一(読み)きくざきけんぎょうさいち

世界大百科事典(旧版)内の菊崎検校左一の言及

【西行桜】より

…【横道 万里雄】(2)地歌箏曲の曲名。菊崎検校左一(1795年登官。第52代惣録検校とは別人)作曲の本調子手事物の地歌で,本来は長歌物,謡物。…

【三橋検校】より

…盲人音楽家。箏曲江戸生田流の祖。都名(いちな)は弥之一,八重一,または勾都(こうのいち)。もと近江の膳所(ぜぜ)藩家老の次男とも。京の倉橋検校の門下。富山藩の前田利幸に召され,三味線の名手島田検校に認められる。富山およびその江戸屋敷で,生田流箏曲を教える。1736年(元文1)検校に登官。倉橋門下の弟弟子とされる京の安村検校と対立し,組歌の新曲を数多く作る。とくに《宮の鶯》は,安村の《飛燕の曲》との競作と思われ,後の光崎検校の《秋風の曲》に影響を与えた。…

※「菊崎検校左一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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