日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊池恭三」の意味・わかりやすい解説
菊池恭三
きくちきょうぞう
(1859―1942)
実業家。伊予国(愛媛県)川名津(かわなづ)の郷士・泰成の三男。大阪英語学校を経て1885年(明治18)工部大学校(東大工学部)機械工学科を卒業。横須賀造船所、大阪造幣局に勤務後、1887年に平野紡績に入社し、イギリス・マンチェスターで紡績技術を修得。帰国後、平野紡績をはじめとして尼崎(あまがさき)紡績、摂津紡績の支配人兼工務長として活躍。1901年(明治34)に尼崎紡績社長に就任。以後、摂津紡績、日本絹毛紡績、日本レイヨンの社長を務め、この間、大日本紡績連合会委員長にも推挙された。金融界においては、三十四銀行(後の三和銀行、現、三菱(みつびし)UFJ銀行)頭取(1924年就任)、共同信託(後の三和信託、現、三菱UFJ信託銀行)会長(1927年就任)を歴任。1926年(大正15)には貴族院議員に勅選された。
[西村はつ 2018年8月21日]
『新田直蔵編著『菊池恭三翁伝』(1948・菊池恭三翁伝記編纂事務所/複製・1998・ゆまに書房)』