華蔵義曇(読み)けぞう・ぎどん

朝日日本歴史人物事典 「華蔵義曇」の解説

華蔵義曇

没年:康正1.4.1(1455.4.17)
生年:永和1/天授1(1375)
室町時代曹洞宗禅僧肥後(熊本県)の人。10歳で肥後海蔵寺の梅巌義東について出家し,参学20年にして法を嗣ぐ。義東の死後,諸地を歴遊して遠江(静岡県)に至り,引間城(浜松市)城主吉良義尚の招きで本能山随縁寺に住した。のちに天竜川の洪水で寺域を城池に移して広沢山普済寺改め,派祖の寒巌義尹から師の義東までを勧請して自ら5世となった。また同地の新豊院,宗源院の開山にも請ぜられた。のち寒巌派は九州の地のみでなく,東海地方にも勢力を持つこととなり,義曇の系統は普済寺13門派を形成した。

(佐藤秀孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「華蔵義曇」の解説

華蔵義曇 けぞう-ぎどん

1375-1455 室町時代の僧。
永和元=天授元年生まれ。曹洞(そうとう)宗。肥後(熊本県)の人。肥後海蔵寺の梅巌義東(ばいがん-ぎとう)に20年間師事し,その法をつぐ。遠江(とおとうみ)(静岡県)引間城主吉良(きら)氏にまねかれ,正長(しょうちょう)元年随縁寺(のちの普済寺)をひらいた。享徳4年4月1日死去。81歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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