蓋井島(読み)ふたおいじま

日本歴史地名大系 「蓋井島」の解説

蓋井島
ふたおいじま

[現在地名]下関市大字蓋井島

下関市の北西端の岬である毘沙びしやはなの沖、ひびき灘に浮ぶ二・五一六平方キロの島。島内に乞月こいづき山がそびえ、山地や海岸に迫る絶壁が多く、平地は少ない。長府藩領で西豊浦郡中支配に属する。

蓋井島は「二井島」とも書き、また「万葉集」巻六に

<資料は省略されています>

とある借島かりしまを、蓋井島とする説もある。

慶長一五年(一六一〇)検地帳に「蓋井島」とみえる。総石高は二七石、うち田一町余で二一石余、畠一町余で三石余、百姓屋敷一五。「地下上申」によれば総石高四〇石余、うち田方三二石余、畠方七石余で総家数一九軒、総人数一二一人。同書は村名由来を「右蓋井島と申ハ、凡五斗程も入可申様の石の坪有之、是に水溜り居申之由、往古神功皇后三韓退治御帰朝之時、此島へ御揚り右石坪の水御取らせ被成、中々能水迚て殊の外御褒美被成、夫より蓋覆イ給ひし故、蓋井島と申習候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「蓋井島」の意味・わかりやすい解説

蓋井島 (ふたおいじま)

山口県下関市の吉母(よしも)港から西方7km,響(ひびき)灘に浮かぶ島。1日2,3往復の船便がある。面積2.44km2人口153(1995)。海食崖が島をとりまき,南岸の小平地に集落がある。近世には外国船打払い用の台場が設置されていた。対馬暖流に洗われ,ミカン栽培も行われ,漁業はアジ,ブリ定置網とイカ,サバの一本釣りが盛んで,海女漁業も伝わる。島の南東部にある筏石(いかだいし)遺跡は古墳時代後期から平安時代にかけての集落遺跡で,クジラの骨を出土した。7年に1度の〈山ノ神神事〉は農耕儀礼古風を残し,江戸時代の記録も保存されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蓋井島」の意味・わかりやすい解説

蓋井島
ふたおいじま

山口県南西部、響灘(ひびきなだ)に浮かぶ島。下関(しものせき)市に属し、吉母(よしも)港から西へ7キロメートル、面積2.35平方キロメートル。半農半漁村で、近世は萩(はぎ)(長州)支藩長府(ちょうふ)藩領、1849年(嘉永2)の記録には戸数19軒とある。対馬(つしま)暖流が流れる近海は好漁場で、アジやブリの定置網、サバやイカの一本釣りが盛ん。7年に一度行われる農耕儀礼の「山ノ神神事」は国指定重要有形民俗文化財。吉見漁港から定期船が運航されている。人口106(2009)。

[三浦 肇]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「蓋井島」の解説

蓋井島

山口県下関市、吉見港の西北西約8キロメートルに位置する響灘諸島の島。“蓋井”は「ふたおい」と読む。面積約2.35平方キロメートル。古くからの海上交通の要衝。島の地名には「見付の瀬」「乞月(こいつき)山」など神功皇后伝説にちなむものが多い。7年に一度島をあげて行われる「山ノ神神事」は、日本古来の神事の型を伝える民俗学的に貴重なもので、神を祀る4つの森は、国の重要文化財に指定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蓋井島」の意味・わかりやすい解説

蓋井島
ふたおいじま

山口県の西端,響灘に浮ぶ島。下関市に属する。島の周囲は海食崖が発達。半農半漁の島でウシの放牧が行われる。農耕儀礼の山の神神事が行われる「山ノ神」の森は有名。面積 2.35km2。人口 123 (2000) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android