蓮田修吾郎(読み)はすだしゅうごろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「蓮田修吾郎」の意味・わかりやすい解説

蓮田修吾郎
はすだしゅうごろう
(1915―2010)

鋳金家。石川金沢市生まれ。石川県立工業学校図案絵画科を経て、1938年(昭和13)東京美術学校(現、東京芸術大学)工芸科鋳金部を卒業した。卒業後は鋳金家高村豊周(たかむらとよちか)に師事し、実在工芸美術展などで活躍した。第二次世界大戦後は、青銅白銅によるレリーフをパネル形式に仕上げて建築空間を飾る手法を開発するなど、金属工芸と建築の接点を探ることから環境造型へと展開している。1949年第5回日展に初入選し、1951年『トロフィー』で日展特選朝倉賞を受賞、1952年日展無鑑査となり、創作工芸協会設立参加、1953年『黒豹(くろひょう)鋳銅スクリーン』で日展北斗賞、1959年『野牛ニンフ』で日展文部大臣賞を受賞。1961年日本現代工芸美術家協会設立に参加、『森の鳴動』で日本芸術院賞を受賞。1975年東京芸術大学教授(のち名誉教授)、日本芸術院会員となる。1976年日本金属造型研究所を設立、1978年金属造型作家展を創設し、金属造型の第一人者として、素材を金属に限らない鋳金造型の新分野を目ざし、ドイツなどとの海外交流の実践と拡大を行う。1981年には北海道の納沙布(のさっぷ)岬に代表作北方領土返還記念のモニュメント『四島のかけ橋』を制作した。1982年ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章受章。1987年文化功労者。1991年(平成3)文化勲章を受章。

[編集部]

『『黄銅への道 金属造型作家のあゆみ』(1979・日貿出版社)』『『蓮田修吾郎金属造型』(1981・京都書院)』『『公共の空間へ 金属造型作家の活動』(1982・日貿出版社)』『『環境造型への対話』(1986・日貿出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蓮田修吾郎」の意味・わかりやすい解説

蓮田修吾郎
はすだしゅうごろう

[生]1915.8.2. 石川,金沢
[没]2010.1.6. 神奈川,鎌倉
鋳金作家。石川県立工業学校図案絵画科を経て,1938年東京美術学校工芸科鋳金部卒業。高村豊周に師事する。1943年から満州の中央銀行造幣廠彫刻課に勤務。1961年東京芸術大学助教授,1975年同教授。同年日本芸術院会員。1949年日展に初入選。1952年創作工芸協会,1961年日本現代工芸美術家協会のそれぞれの設立に参加。1959年『野牛とニンフ』で日展文部大臣賞受賞。1962年『森の鳴動』で日本芸術院賞受賞。1976年日本金属造形研究所を設立。金属素材にこだわらず,彫刻的,絵画的な表現を追求し,自由な発想で伝統の世界に新風を吹き込んだ。ほかに代表作として『ルルド雲仙』(1975),『朱銅壷・遥か』(1965)などがある。ベルリン芸術祭への招待出品をきっかけにドイツとの交流を深め,1982年ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を受章。1987年文化功労者に選ばれ,1991年文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蓮田修吾郎」の解説

蓮田修吾郎 はすだ-しゅうごろう

1915-2010 昭和-平成時代の鋳金家。
大正4年8月2日生まれ。高村豊周(とよちか)にまなび,昭和24年日展初入選。36年現代工芸美術家協会の設立に参加。37年「森の鳴動」で芸術院賞。50年東京芸大教授。平成3年文化勲章。代表作に「ルルド雲仙」など。平成22年1月6日死去。94歳。石川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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