藤原光長(読み)ふじわらのみつなが

朝日日本歴史人物事典 「藤原光長」の解説

藤原光長

没年:建久6.6.2(1195.7.10)
生年:天養1(1144)
平安末・鎌倉初期の公卿。光房と藤原俊忠の娘の子。勧修寺流藤原氏出身で,摂関家家司・院司を務め,蔵人・検非違使・弁官の三事兼帯の後,蔵人頭を経て,参議となる。兄吉田経房,弟藤原定長と共に源平内乱期に活躍した実務官僚だが,光長の場合は摂関家との関係が深い。特に九条兼実の信頼厚く,文治2(1186)年兼実が摂政・氏長者となると,執事別当と氏院別当を兼ね,殿下渡領(藤原氏長者が代々継承する所領)の鹿田荘(岡山市)預も務めて,九条家家司の中心的存在となっている。後白河法皇が近臣定長に,兄光長について学問に優れ人望もあるが兼実に近習していることが不快である旨をもらしたエピソードも伝えられている。

(奥田環)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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