藤原宗輔(読み)ふじわらのむねすけ

朝日日本歴史人物事典 「藤原宗輔」の解説

藤原宗輔

没年:応保2.1.30(1162.2.15)
生年承暦1(1077)
平安時代公卿。号は京極太政大臣。権大納言宗俊と源俊房の娘の子。近衛中将・蔵人頭を経て保安3(1122)年参議。次いで中納言,権大納言。久安5(1149)年大納言,藤原氏として初めて淳和院別当となる。右大臣に続き保元2(1157)年太政大臣。永暦1(1160)年辞す。父から伝授された音楽の名手として知られ,鳥羽天皇の笛の師であった。蜂を飼うことを好み,それぞれに名を付けて呼び,出仕の際についてきた蜂を車にとまらせるなどしたため蜂飼大臣と呼ばれた。<参考文献>戸田芳美『中右記』

(吉田早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原宗輔」の解説

藤原宗輔 ふじわらの-むねすけ

1077-1162 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
承暦(じょうりゃく)元年生まれ。藤原宗俊の3男。母は源俊房の娘。保安(ほうあん)3年(1122)参議。保元(ほうげん)元年(1156)右大臣,2年太政大臣となり,従一位にいたる。家芸の管弦をよくした。号は京極,堀川,また蜂(はち)がすきなことから蜂飼大臣と称された。応保2年1月30日死去。86歳。

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