藤原成範(読み)ふじわらのしげのり

改訂新版 世界大百科事典 「藤原成範」の意味・わかりやすい解説

藤原成範 (ふじわらのしげのり)
生没年:1135-87(保延1-文治3)

平安末期の公卿。少納言入道通憲(信西)の男。初名成憲。母は後白河天皇の乳母として有名な紀二位藤原朝子。1153年(仁平3)鳥羽院判官代より右近衛将監に出身し,左近衛少将から中将に進み,遠江播磨の守を兼ねた。平治の乱に際し解官配流されたが,程なく召還されて大宰大弐に任ぜられ,成範と改名した。66年(仁安1)従三位に昇り,参議を経て正二位中納言に至った。その間,平清盛女婿となり,また後白河院の執事別当に補されて院務を掌握した。吉野山にあこがれ,邸内に多くの桜を植えたので,桜町中納言と称され,また高倉天皇の寵妃として名高い小督局は,その女である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「藤原成範」の解説

藤原成範

没年文治3.3.17(1187.4.27)
生年保延1(1135)
平安末期の公卿。本名は成憲。世に桜町中納言といわれた。藤原通憲(信西)と後白河天皇乳母紀二位の子。久寿1(1154)年叙爵。平治の乱(1159)でいったん解官,配流されるが許され,平清盛の娘婿であったことも手伝い,のちには正二位中納言兼民部卿に至る。また後白河院政開始以来の院司で,治承4(1180)年には執事院司となり激動の内乱期を乗りきった。一方和歌に優れ,『唐物語』の作者に擬せられている。桜を好み,風雅を愛した文化人でもあった。娘に『平家物語』で名高い小督局がいる。<参考文献>角田文衛『平家後抄』

(木村真美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原成範」の解説

藤原成範 ふじわらの-なりのり

1135-1187 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)元年生まれ。藤原通憲(みちのり)の子。母は藤原朝子(紀二位)。平治(へいじ)の乱で配流されたがまもなくゆるされ,承安(じょうあん)4年(1174)参議。のち正二位,中納言となる。桜をこのみ,桜町中納言と称された。勅撰集には「千載和歌集」以下に13首。説話集「唐(から)物語」の作者とみられる。文治(ぶんじ)3年3月17日死去。53歳。

藤原成範 ふじわらの-しげのり

ふじわらの-なりのり

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原成範の言及

【唐物語】より

…平安末期の成立。著者は藤原成範(しげのり)(1135‐87)と言われる。王朝人に親しまれた〈楊貴妃〉〈反魂香〉〈王昭君〉〈呂太后〉〈張文成〉などの故事を,漢文訓読調の直訳ではなく,情趣豊かな和文に翻訳,和歌を配して王朝物語風に仕立てたもので,教訓的口吻,仏教的色彩,伝奇への興味も見られるが,全体として主情的で,翻訳文学の先駆とされる。…

※「藤原成範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android