藤原敦宗(読み)ふじわらのあつむね

朝日日本歴史人物事典 「藤原敦宗」の解説

藤原敦宗

没年:天永2.9.16(1111.10.20)
生年:長久3(1042)
平安時代後期の学者,漢詩人。藤原北家日野流藤原実政の子。寛治2(1088)年父の流罪に連座して官職を解かれるが10年後に復帰,大学頭,式部権大輔など,学者としての栄誉をきわめ,丹波守在任中に没した。藤原宗忠は日記『中右記』に「才智頗る傍輩に勝る。名儒と謂うべし」(天永2.9.18条,原漢文)と書いている。確かに日野流の学統を伝えた学者ではあったが,同時代の藤原敦基大江匡房に比べるとやや見劣りするか。『本朝無題詩』『本朝続文粋』などに漢詩文作品が少数ながら収められている。

(堀川貴司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原敦宗」の解説

藤原敦宗 ふじわらの-あつむね

1042-1111 平安時代後期の官吏,漢詩人。
長久3年生まれ。藤原実政(さねまさ)の長男文章博士(もんじょうはかせ),左少弁などに任じられたが,寛治(かんじ)2年(1088)父の流罪に連座して解官された。のち赦免され,大学頭(かみ),東宮学士,式部権大輔(ごんのたいふ),丹波守(かみ)などを歴任,正四位下となる。詩文は「本朝続文粋(もんずい)」などにある。天永2年9月16日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android