藤原有国(読み)ふじわらのありくに

朝日日本歴史人物事典 「藤原有国」の解説

藤原有国

没年寛弘8.7.11(1011.8.12)
生年天慶6(943)
平安中期の官人。もとの名は在国。従二位,豊前守輔道と近江守源守俊(一説に済俊)の娘の子。正暦1(990)年蔵人頭,次いで従三位(非参議)となる。翌年に秦有時殺害事件に連座して官位を奪われたが1年後に復位。大宰大弐を経て長保3(1001)年,参議となり修理大夫を兼ねた。摂政藤原兼家により平惟仲と共に「左右の眼」と重んじられた。摂関を子の誰に譲るか兼家から相談を受け,道兼を推したことで関白となった道隆(惟仲が推薦)に冷遇されたが,道長時代に復権した。妻橘徳子(橘三位)は一条天皇の乳母を務め,その皇子後一条天皇の乳付もした。博学漢詩をよくし『勘解由相公集』2巻を著し,『本朝麗藻』などに漢詩を多く残す。応天門の変(866)で失脚した伴善男容貌が似るところからその後身との説があった。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原有国」の解説

藤原有国 ふじわらの-ありくに

943-1011 平安時代中期の公卿(くぎょう),漢詩人。
天慶(てんぎょう)6年生まれ。藤原輔道(すけみち)の3男。藤原兼家の家司(けいし)。関白の後継藤原道隆を推さなかったため,道隆ににくまれて一時官位をうばわれた。のち藤原道長の家司をつとめ,長保3年(1001)参議,従二位となる。詩は「本朝麗藻」などにおさめられている。寛弘(かんこう)8年7月11日死去。69歳。初名は在国。

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