藤原登子(読み)ふじわらのとうし

朝日日本歴史人物事典 「藤原登子」の解説

藤原登子

没年:天延3.3.29(975.5.12)
生年:生年不詳
平安時代中期の尚侍。「なりこ」とも。藤原師輔と藤原盛子の子。村上天皇女御安子の同母妹。はじめ重明親王後妻となり,2女を生む。姉を訪ねて宮中に出入りするとその美しい姿を盗み見た村上天皇が心を引かれ,人妻であるにもかかわらず求愛。安子は1,2度は黙認したが,以後は拒否。天暦8(954)年重明親王の死後,天皇は熱心に入内を促す。康保1(964)年の安子の死後,兄弟の勧めもあって入内が実現。登花殿に入る。天皇は彼女を寵愛するあまり政治を顧みなかったため藤原実頼が痛烈に批判したという。天皇の死後,安和2(969)年尚侍となり,天延1(973)年従二位になった。藤原道綱母とも歌の贈答をするなどの交流があった。

(京楽真帆子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原登子」の解説

藤原登子 ふじわらの-とうし

?-975 平安時代中期の女官
藤原師輔(もろすけ)の娘。母は藤原経邦の娘盛子。村上天皇の皇后安子の同母妹。重明(しげあきら)親王の後妻となり2女を生む。親王と姉の没後,村上天皇の後宮にはいって寵愛(ちょうあい)をうけた。のち尚侍,従二位。貞観殿(じょうがんでんの)尚侍とよばれる。天延3年3月29日死去。名は「なりこ」ともよむ。

藤原登子 ふじわらの-なりこ

ふじわらの-とうし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android