藤原範茂(読み)ふじわらののりしげ

朝日日本歴史人物事典 「藤原範茂」の解説

藤原範茂

没年承久3.6.18(1221.7.9)
生年:元暦1(1184)
鎌倉前期の公卿高倉と称す。父は藤原範季,母は中納言平教盛の娘。少将,中将を経て承久1(1219)年蔵人頭,同2年参議。建保3(1215)年ごろから甲斐(山梨県)の知行国主となっており,これにより甲斐宰相と呼ばれた。姉妹には順徳院の母の修明門院があり,近親者には卿二位がある。範茂も後鳥羽上皇近侍していた。承久3年の承久の乱では上皇方の中心公卿として活動。源有雅らと共に宇治勢多に向かい幕府軍と戦うが敗北し捕らえられる。北条朝時に預けられ,鎌倉へ護送される途中,相模国で誅殺された。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原範茂」の解説

藤原範茂 ふじわらの-のりしげ

1184-1221 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
元暦(げんりゃく)元年生まれ。藤原範季(のりすえ)の子。母は平教盛(のりもり)の娘。後鳥羽(ごとば)上皇の近臣。承久(じょうきゅう)2年参議,従三位となる。承久の乱に際して源有雅(ありまさ)とともに上皇方の軍をひきい,宇治で敗北。鎌倉に護送される途中,承久3年6月18日相模(さがみ)(神奈川県)の早川で入水(じゅすい)した。38歳。通称は甲斐(かい)宰相。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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