藤沢清造
ふじさわせいぞう
(1889―1932)
小説家。石川県生まれ。尋常小学校卒業。丁稚(でっち)生活を送ったのち、18歳ごろ上京し、『演芸画報』の記者となる。1922年(大正11)、友人の悲惨な死を描いた長編小説『根津権現裏(ねづごんげんうら)』を発表して文壇に登場。人間の醜悪、悲惨な面をもっぱら描いた藤沢の作品は、晩年になるにつれて無政府主義的傾向が強くなっていった。悪疾による精神障害から失踪(しっそう)を重ねたすえに、東京・芝公園内で凍死した。
[大森澄雄]
『大森澄雄著『藤沢清造』(『私小説作家研究』所収・1982・明治書院)』
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藤沢清造 ふじさわ-せいぞう
1889-1932 大正-昭和時代前期の小説家。
明治22年10月28日生まれ。尋常小学校卒業後,種々の職業をへて上京,演芸画報社の記者となる。大正11年長編小説「根津権現(ごんげん)裏」を発表。精神疾患から失踪(しっそう)をくりかえし,昭和7年1月29日東京芝公園で凍死した。44歳。石川県出身。
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