藤浪鑑(読み)ふじなみあきら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤浪鑑」の意味・わかりやすい解説

藤浪鑑
ふじなみあきら
(1870―1934)

病理学者。明治3年11月29日、名古屋に生まれる。尾張(おわり)藩の侍医藤浪萬得の長男。放射線医学者の藤浪剛一(ごういち)の兄。1895年(明治28)東京帝国大学医科大学を卒業。翌1896年ドイツに留学して病理学を専攻し、1900年(明治33)帰国とともに京都帝国大学医科大学教授に任ぜられた。1911年肺ペスト研究のため満州(中国東北部)に出張した。1916年(大正5)『日本住血吸虫病』を出版し、1918年この研究によって帝国学士院賞を授与された。1929年(昭和4)帝国学士院会員となり、翌1930年退官。1931年京都帝大名誉教授となる。昭和9年11月18日没。

[深瀬泰旦]

『天野重安編『藤浪鑑撰集』(1945・南江堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「藤浪鑑」の意味・わかりやすい解説

藤浪鑑 (ふじなみあきら)
生没年:1870-1934(明治3-昭和9)

病理学者。藤浪肉腫の創始者。名古屋生れ。東大卒後,同大病理学教室に入り山極勝三郎に就く。ドイツに留学し,ベルリン大学などで学び,1900年帰国と同時に京都大学の初代の病理学教授となる。11年満州(現,中国東北部)にペストが発生し,奉天で万国ペスト会議が行われるに際し,日本から北里柴三郎らとともにこれに出席脚気,寄生虫病ことに日本住血吸虫症の研究(これに対し1918年学士院賞)のほか,実験腫瘍学の分野では家鶏肉腫の病理についての仕事があり,藤浪肉腫(1908)の名は世界に知られる。学士院会員。弟の藤浪剛一も医師で慶応大学教授,放射線医学者として著名
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤浪鑑」の意味・わかりやすい解説

藤浪鑑
ふじなみあきら

[生]明治3(1870).11. 名古屋
[没]1934.11.18. 京都
病理学者。 1884年帝国大学医科大学卒業,85年ドイツに留学,1900年帰国して京都帝国大学初代の病理学教授。 04年桂田富士郎らとともに日本住血吸虫発見し,ジストマ病原体感染経路の研究をした。また熱心なキリスト教徒で,38年にハイデルベルク大学より名誉神学博士号を贈られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤浪鑑」の解説

藤浪鑑 ふじなみ-あきら

1871*-1934 明治-昭和時代前期の病理学者。
明治3年11月29日生まれ。藤浪方岳の長男。ドイツ留学後,明治33年京都帝大教授となる。移植可能な家鶏肉腫(にくしゅ)(藤浪肉腫)の発見で知られる。大正7年日本住血吸虫症の研究で学士院賞。昭和9年11月18日死去。65歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。帝国大学卒。

藤浪鑑 ふじなみ-かん

ふじなみ-あきら

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤浪鑑の言及

【癌】より

…ラウスP.Rous(1879‐1970)がニワトリの肉腫が濾過性病原体で起こることを報告したのは1911年である。同じころ(1914)日本の藤浪鑑(ふじなみあきら)もニワトリの肉腫がウイルスにより発生することをつきとめている。これらはのちにRNA型の腫瘍ウイルスであることがわかったが,ラウス肉腫ウイルスは,70年代に徹底的に研究され,現在の癌遺伝子解明の突破口をつくった。…

※「藤浪鑑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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