藤間勘右衛門(2代)(読み)ふじま・かんえもん

朝日日本歴史人物事典 「藤間勘右衛門(2代)」の解説

藤間勘右衛門(2代)

没年:大正14.1.23(1925)
生年天保11.2.12(1840.3.15)
9代目市川団十郎に引き立てられた,明治大正期の劇場振付師。日本舞踊藤間流勘右衛門派2代目家元。浜町の藤間,大藤間と呼ばれ,晩年勘翁と称した。振付師初代藤間勘右衛門の子で,7代目松本幸四郎(3代目勘右衛門)の養父。12歳で父と死別し,櫓下の亀三勘十郎の世話を受け,19歳で2代目を襲名。「踊りは花柳」といわれていた逆境時代をくぐり抜け,団十郎と初代花柳寿輔との決裂後に振付師としての機会をつかんだ。「鏡獅子」「素襖落」などの団十郎作品ばかりでなく,「お夏狂乱」など坪内逍遥舞踊劇も振り付けた。生年は2月20日とも。3代目以降は歌舞伎俳優が勘右衛門の名跡を兼ね,平成1(1989)年に2代目尾上辰之助が6代目を継承。<参考文献>7代目松本幸四郎『芸談一世一代』

(丸茂祐佳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤間勘右衛門(2代)」の解説

藤間勘右衛門(2代) ふじま-かんえもん

1840-1925 幕末-大正時代の振付師,舞踊家
天保(てんぽう)11年2月12/20日生まれ。初代藤間勘右衛門の子。7代松本幸四郎の養父。藤間流家元。安政5年2代を襲名。明治中ごろ9代市川団十郎の引き立てで歌舞伎座の振付師となる。一時6代西川扇蔵を名のったが,晩年は勘翁と改名。大正14年1月23日死去。86歳。江戸出身。

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