藩鎮(読み)はんちん(英語表記)fān zhèn

精選版 日本国語大辞典 「藩鎮」の意味・読み・例文・類語

はん‐ちん【藩鎮】

〘名〙
地方の鎮めのために駐屯する軍隊。〔李尤‐函谷関賦〕
王室守護となること。また、その諸侯。また、単に諸侯、大名の意。
随筆・秉燭譚(1729)三「布政使は古の諸侯に準じて、藩鎮の意にて藩と云」 〔呉志‐陸凱伝〕
中国、唐代の節度使異称。〔大宋宣和遺事‐貞集〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「藩鎮」の意味・読み・例文・類語

はん‐ちん【藩鎮】

中国、代の節度使の異称。
王室の守りとなること。また、その諸侯。
「義氏より…五代、なほ東野の―にあり」〈読・弓張月・後〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「藩鎮」の意味・わかりやすい解説

藩鎮 (はんちん)
fān zhèn

中国,唐・五代の軍閥中期の律令支配崩壊の過程で,多様化する社会に対処するため,唐朝は各種の〈使職〉(いわゆる〈令外の官〉)と総称されるポストを続々と新設した。その代表が節度使である。節度使は属地の羈縻(きび)支配の破綻や府兵制の崩壊により,長城線沿いに新設された傭兵からなる国境防衛軍団の司令官であるが,安史の乱勃発を機に国内要衝にも置かれるようになった。一方,地方行政の監察強化のために,やはり使職の観察使が新設されたが,しだいに州の上級地方長官と化した。節度使はこの観察使を兼ねて,地方の兵・民・財三権を掌握し,河北三鎮(盧竜・天雄・成徳)のごとき,数代にわたる節度使の世襲や,税賦の中央送付を拒否するなど,唐中央政府から半ば独立した軍閥となるものが多くなった。このような存在を藩鎮,方鎮と呼ぶ。唐代後半期には40~50,五代には30~40の藩鎮が存在し,分裂に近い状況を呈することになった。

 節度使の管轄区域は,治所のある州を会府,その他の管下諸州を巡属州と称した。その軍事力は,会府に駐屯する親衛隊たる最精鋭の牙軍,管内要衝に配備された外鎮軍,それに巡属州刺史管下の軍隊からなる。これらの軍隊は主として官健と呼ばれる傭兵で,待遇問題をめぐってしばしば節度使の廃立を行った。そのため節度使は私費直衛の家兵部隊をおいたり,将兵との間に仮父子関係(擬制的血縁関係)を結んで忠誠を確保しようとしたりした。9世紀初めの憲宗は,反唐朝の態度を強くもつ藩鎮に対して,再編した禁軍軌道にのった両税法をてこにして,軍事,財政の両面から強硬な抑圧策を実施した。そして藩鎮兵力分断管区の分割,両税配分の改訂による巡属州の中央への統属強化,節度使の世襲を厳禁して中央から高級官僚を派遣するなど,中央集権の再建に一定の成果をおさめた。その後,兵力の分断削減による地方治安維持力の低下,もっぱら自己の昇進の一段階とのみ考える天下り節度使の過酷な収奪などから,唐朝の財政基盤たる江南諸地方での兵乱や農民反乱が続発し,黄巣の乱で唐朝は実質的に解体するとともに,この乱とその後の争乱から身を起こした群雄が新たに藩鎮となり,次の五代諸政権につながっていった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

普及版 字通 「藩鎮」の読み・字形・画数・意味

【藩鎮】はんちん

地域の駐屯軍。唐代の節度使。〔日知録、九、藩鎮〕嗚呼(ああ)、世に言ふ、鎭にぶと。而れども中、其のに吐(とばん)・回(くわいこつ)に(あは)せられ、に滅びざりしは、未だ必ずしも鎭の力に非ずんばあらず。

字通「藩」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藩鎮」の意味・わかりやすい解説

藩鎮
はんちん
Fan-zhen; Fan-chên

中国,唐,五代,宋初に存在した節度使を最高権力者とする地方支配機構。景雲1 (710) 年初めて河西節度使が出現し,安史の乱前には辺境に 10藩鎮がおかれ,乱を契機に内地にも列置されて 45前後となり,五代,宋初にはさらに数を増した。複数の州を領域とし,節度使の治所州を会府,管下の諸州を支郡と称し,会府には節度使の親衛軍的な牙軍があり,支郡には節度使と主従関係をもつ鎮将の率いる外鎮軍が鎮と呼ばれた要衝に駐屯し,文官の州刺史や県令を抑制して武人支配の体制をとった。中央の財政は,上供といって,節度使による藩鎮領内の税の中央送付によったが,節度使は兵力強化のため上供を渋る傾向が強かった。特に范陽,成徳,天雄のいわゆる河北三鎮は,終始自立の動きを示した。9世紀初め,憲宗の抑圧策の成功で,中央から節度使を派遣し,外鎮軍を節度使から切り離して,一時唐の安定期を迎えたが,黄巣 (こうそう) の乱を契機に藩鎮は一斉に自立して唐は滅び,五代は藩鎮に依拠した武人が権力を握る武人政治の時代となった。しかし宋の太祖,太宗の解体策により,藩鎮体制は崩壊した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藩鎮」の意味・わかりやすい解説

藩鎮
はんちん

中国、唐・宋(そう)期の地方官署の名称。藩鎮は、均田体制の破綻(はたん)という政治的危機を克服するために辺境や内地に設けられた。しかし藩鎮の長官である節度使(せつどし)は管内の軍事、行政、財政の三権を掌握し、しだいに唐朝の支配下から一個の軍閥として自立していった。8世紀末にはその数が50ほどであったが、唐朝との、あるいは藩鎮どうしの対立のなかでしだいに淘汰(とうた)され、強力な藩鎮だけが残り、五代群雄割拠の時代を迎え、のち、宋に入って解体された。

[伊藤宏明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「藩鎮」の意味・わかりやすい解説

藩鎮【はんちん】

中国の節度使の別名。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「藩鎮」の解説

藩鎮(はんちん)

節度使(せつどし)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「藩鎮」の解説

藩鎮
はんちん

節度使

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android