虎屋永閑(読み)とらやえいかん

改訂新版 世界大百科事典 「虎屋永閑」の意味・わかりやすい解説

虎屋永閑 (とらやえいかん)

江戸古浄瑠璃太夫生没年未詳。薩摩浄雲弟子虎屋源太夫門人で,前名小源太と伝える。寛文(1661-73)から元禄(1688-1704)にかけて活躍,1669年ごろ永閑と改め,主として伊勢大掾座で太夫をつとめ,また自座を興行したこともあったが,晩年には座敷浄瑠璃を語ったらしい。芸風金平(きんびら)風の豪快なもので世に永閑節といわれ,当時の歌舞伎の荒事にも用いられた。当時無双の大音の持主であった。門人に虎屋喜元,同小源太(のち豊島小源太夫)らがいる。正本は《仙人竜王威勢諍(あらそい)》《子四天王始》などが残っている。
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朝日日本歴史人物事典 「虎屋永閑」の解説

虎屋永閑

生年:生没年不詳
江戸前期の古浄瑠璃の太夫,永閑節の創始者。元禄(1688~1704)初年までは,土佐少掾正勝,桜井丹波少掾と並ぶ江戸浄瑠璃三座の一として操り芝居を興行する(『江戸図鑑綱目』)など寛文~元禄期(1661~1704)に活躍。江戸の虎屋源太夫の弟子で,はじめ虎屋小源太夫というが,この点には疑問がある。寛文9(1669)年ごろ永閑と改める。芸は不明だが永閑節という曲節を残した。その弟子に虎屋喜元がいたという。<参考文献>『新修絵入浄瑠璃史』(『水谷不倒著作集』4巻)

(竹内道敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「虎屋永閑」の解説

虎屋永閑 とらや-えいかん

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
江戸の人。虎屋源太夫の弟子で小源太夫を称したという。寛文9年(1669)ごろ永閑と改名,伊勢大掾(いせのだいじょう)座の太夫となる。天和(てんな)2年から江戸堺町で自分の座をかまえ,操り芝居を興行。その曲風は豪放で永閑節といわれた。正本に「仙人竜王威勢諍(あらそい)」など。弟子に虎屋喜元。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「虎屋永閑」の意味・わかりやすい解説

虎屋永閑
とらやえいかん

古浄瑠璃の太夫。初名虎屋小源太夫。万治4 (1661) 年~元禄3 (90) 年の活動が知られる。江戸の虎屋源太夫の門下で,永閑節を創始した。寛文9 (69) 年~延宝7 (79) 年は伊勢座に所属していたが,天和2 (82) 年には永閑座を立てていた。正本に『仙人竜王威勢諍 (あらそい) 』『和国美人歌諍』『柿本人丸』『こうきでん』などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の虎屋永閑の言及

【永閑節】より

…江戸古浄瑠璃の曲節。江戸の虎屋源太夫の弟子小源太が1669年(寛文9)ごろ永閑と改め,その曲節が永閑節とよばれるようになり,元禄(1688‐1704)末ごろまで喜ばれた。芸風は豪快,当時無双の大音の持主で歌舞伎の荒事に迎えられたらしい。江戸ではのちの大薩摩節や外記節に押されて形は伝わらなかったが,上方に伝わり,地歌に〈永閑物〉として《寛濶一休(かんかついつきゆう)》が残っている。これは山伏と一休和尚の問答や祈りくらべをつづった曲である。…

【浄瑠璃】より

…この門人広瀬式部の式部節は貞享・元禄(1684‐1704)ころ江戸に流行したが,式部は市村座に出演して歌舞伎浄瑠璃化し,また酒宴の席などのくだけた浄瑠璃を語って座敷浄瑠璃化した。浄雲の弟子の虎屋源太夫の門からは虎屋永閑(永閑節)が出て,元禄ころまで金平風を語った。この門人には虎屋喜元,虎屋寿徳などがあったが,寿徳は歌舞伎に出演した。…

※「虎屋永閑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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