衛満(読み)エイマン

デジタル大辞泉 「衛満」の意味・読み・例文・類語

えい‐まん〔ヱイ‐〕【衛満】

朝鮮王。中国えんの人。前190年ごろ箕子きし朝鮮の王箕準きじゅんを追い払い、衛氏朝鮮を興した。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「衛満」の意味・読み・例文・類語

えい‐まん ヱイ‥【衛満】

衛氏朝鮮の創始者。燕(えん)の人。高祖末年、燕が滅亡すると、朝鮮に亡命土着の諸族を服属させて箕子(きし)朝鮮を滅ぼし、王険(平壌)に都した。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「衛満」の意味・わかりやすい解説

衛満
えいまん
Wiman

古朝鮮,衛氏朝鮮国王 (現在の中国河北省方面) の人といわれる。『史記』によれば漢の高祖 12 (前 195) 年,燕王が漢に反抗して敗北し匈奴の方面に逃れたとき,燕人の衛満は一族部下 1000人余を率いてばい水 (ばいすい。現在の鴨緑江または大同江) を渡って北朝鮮の地に亡命し,その地に建国していた箕子 (きし) 朝鮮の国王,箕準に仕え,逐次信頼を受けて封地を賜わり西辺を守ったが,箕準を欺き,漢の軍隊が来攻するとおどして箕準を追放し,代って王となり王険城 (現在の平壌といわれる) に都を定め,いわゆる衛氏朝鮮の初代国王となった。ただし史料が貧弱なため,どこまで事実であるかは不明である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「衛満」の意味・わかりやすい解説

衛満
えいまん

生没年不詳。衛氏朝鮮の建国者。紀元前2世紀初めの中国、燕(えん)の人で、『史記』によれば前195年、燕王の盧綰(ろわん)が漢に背いて敗れるや、衛満は魋結(ついけつ)(さいづち髷(まげ))をし、蛮夷(ばんい)の服を着て、1000余人を率いて水(はいすい)(鴨緑江(おうりょくこう))を渡り、朝鮮の地に移った。そこで土着民や燕、斉(せい)の亡命者を治め、王険城(おうけんじょう)(現在の平壌(ピョンヤン))に都を定めて衛氏朝鮮を建てた。遼東(りょうとう)太守の外臣となり、数千里四方を支配したが、孫の右渠(ゆうきょ)の代に漢の武帝の怒りを買い、前108年衛氏朝鮮は滅ぼされ、漢の郡県となった。

[浜田耕策]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「衛満」の解説

衛満(えいまん)
Wi Man

生没年不詳

衛氏(えいし)朝鮮の建国者。漢初の燕王盧綰(ろわん)の臣で,朝鮮北部に亡命して箕子(きし)朝鮮の王箕準(きじゅん)の信任を受けた。前190年頃国を奪い王険(王倹)(おうけん)城(平壌(ピョンヤン))を都とした。漢は衛満を遼東太守の外臣として,周囲の諸部族を服属させた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の衛満の言及

【衛氏朝鮮】より

…朝鮮半島北西部は古来から中国との交流がおこなわれ,政治,経済,文化の諸般に深い影響を受けていたようである。《史記》によると前195年(漢の高祖12),燕王盧綰(ろわん)が漢に背反したとき,その部将の衛満は部下1000余人をひきいて浿水(ばいすい)(位置に諸説あり)を渡り北朝鮮の地におもむき,箕子(きし)朝鮮国最後の国王,箕準(淮とも記す)に信頼され官職を授けられ封地も賜ったという。やがて勢力をたくわえた衛満は燕や斉の亡民を糾合して準を脅かし,漢の恵帝のころ準を追放してみずから王となり前王の故都王険城(現,平壌付近)を首都とした。…

※「衛満」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android