裴世清(読み)はいせいせい(英語表記)Péi Shì qīng

精選版 日本国語大辞典 「裴世清」の意味・読み・例文・類語

はい‐せいせい【裴世清】

六世紀末から七世紀の中国隋の使者。推古天皇一六年(六〇八)に答使として第一回遣隋使小野妹子らを送って来日し、第二回遣隋使とともに帰国した。生没年未詳。

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デジタル大辞泉 「裴世清」の意味・読み・例文・類語

はい‐せいせい【裴世清】

中国、官人推古天皇16年(608)帰国する遣隋使小野妹子おののいもことともに来日して煬帝ようだい親書を天皇に伝え、送使となった小野妹子とともに、同年帰国。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「裴世清」の意味・わかりやすい解説

裴世清 (はいせいせい)
Péi Shì qīng

中国,隋の官僚。生没年不詳。唐の太宗の諱(いみな)である世民の一字〈世〉を避けて裴清とも記される。隋の鴻臚寺掌客,文林郎であったが,608年(推古16・隋の大業4)日本遣隋使小野妹子らを送り,遍光高らとともに答礼のための隋使として渡来。百済経由で筑紫・難波を通って8月,飛鳥小墾田宮至り倭王(推古天皇か)に見(まみ)え国書産物をもたらした。9月帰国。このとき再び遣隋使となった小野妹子や留学生高向玄理,留学僧日文(旻(みん)),南淵請安らが同行した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「裴世清」の意味・わかりやすい解説

裴世清
はいせいせい

生没年不詳。6世紀前半の隋(ずい)の官人。607年(推古天皇15)に推古(すいこ)天皇が派遣した遣隋使に対して隋の煬帝(ようだい)が日本に遣わした返答使(へんとうし)。裴氏は六朝(りくちょう)時代以来の名族で、世清は来日時には文林郎(ぶんりんろう)(秘書省の属官)・鴻臚寺掌客(こうろじしょうきゃく)(外国使節の接待係)の職にあった。『日本書紀』によると、裴世清一行は、遣隋使小野妹子(おののいもこ)らとともに、608年4月に筑紫(つくし)に到着、6月難波津(なにわづ)に入る際には飾船(かざりぶね)30艘(そう)の歓待を受け、8月に飾騎(かざりうま)75匹に迎えられて入京し、朝廷に招かれて煬帝からの親書を推古天皇に伝えた。9月には帰国の途につくが、送使に小野妹子が命ぜられ、あわせて高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなぶちのしょうあん)、僧旻(みん)などの留学生が同行した。裴世清来日の記事は『隋書』にも詳しい。

[菊地照夫]

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朝日日本歴史人物事典 「裴世清」の解説

裴世清

生年:生没年不詳
遣隋使小野妹子を送って隋から日本に派遣された中国人使者。名門裴氏の出身で隋,唐に仕えた。推古天皇16(608)年4月に小野妹子らと百済経由で筑紫(福岡県)に到着。6月に難波津(大阪市)に至り,新造の客館に宿泊。8月に威容を整えた迎接を受けて飛鳥(奈良県明日香村)に入り,小墾田宮において群臣が列席するなか,「皇帝問倭皇」で始まる皇帝煬帝からの国書を言上。このときは秘書省文林郎(学芸文筆の名誉職),鴻臚寺掌客(対外折衝の実務官)だった。小墾田宮や難波において饗を受け9月に帰国。小野妹子が再度同行し,留学生や僧ら8名を伴った。帰国後,唐王朝において対外関係の政務を監査する主客郎中,さらに江州(江西省九江市)を治める長官である江州刺史となった。帰国に伴って留学した高向玄理,南淵請安,僧旻らは,隋末唐初の動乱の中において,有形無形の庇護を世清から受けたと考えられる。<参考文献>池田温「裴世清と高表仁」(『日本歴史』280号)

(平野卓治)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「裴世清」の解説

裴世清
はいせいせい

生没年不詳。6世紀後半~7世紀前半の隋・唐の官人。608年(推古16)4月,遣隋使小野妹子を送って筑紫に上陸。6月難波津に泊まり,8月大和国海石榴市(つばいち)の衢(ちまた)に迎えられ,小墾田宮(おはりだのみや)に召された。世清は信物を届け国書を読んだ。身分は「日本書紀」では鴻臚(こうろ)寺掌客,「隋書」では文林郎。「元興寺伽藍縁起」によれば,副使尚書祠部主事遍光高(へんこうこう)が世清に従って来朝した。世清は唐朝にも仕え,江州刺史となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「裴世清」の意味・わかりやすい解説

裴世清
はいせいせい
Pei Shi-qing

隋の煬帝の使者。推古 16 (608) 年6月第1回遣隋使小野妹子の帰国に伴われて来朝。日本の威信を示すために難波の鴻臚館に盛大に迎えられ,隋の国書,進物を朝廷に届けた。同年9月第2回遣隋使とともに帰国。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「裴世清」の解説

裴世清 はい-せいせい

?-? 隋(ずい)(中国)の官僚。
推古天皇16年(608)遣隋使小野妹子(おのの-いもこ)をおくって大使として来日。朝廷に隋の煬帝(ようだい)の国書を提出。同年再度遣隋使となった妹子らと帰国した。

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世界大百科事典(旧版)内の裴世清の言及

【遣隋使】より

…607年(推古15,大業3),小野妹子(いもこ)・鞍作福利(くらつくりのふくり)らをつかわしたことが《日本書紀》にみえ,これと対応する有名な〈日出処の天子書を日没する処の天子に致す〉の国書をたずさえて行き煬帝の不興を買ったことが《隋書》に見える。妹子は翌年隋使裴世清(はいせいせい)らを伴って帰国したが,隋の国書を途中で紛失している。彼の国書の内容が,太子の期待した対等の外交関係とは遠いものであったからであろうといわれている。…

※「裴世清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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