西イリアン問題(読み)にしイリアンもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西イリアン問題」の意味・わかりやすい解説

西イリアン問題
にしイリアンもんだい

西イリアン (西ニューギニア) をめぐるオランダインドネシア対立。 1949年 11月2日の主権移譲憲章において,オランダはインドネシアに対して完全主権を与え,独立主権国家として承認した (→ハーグ協定 ) が,西イリアンの政治的地位の問題については,その後の両国間の交渉にゆだねられた。しかし旧オランダ領東インドの継承者として西イリアンに対しても当然継承権を有すると主張するインドネシアと,交渉決裂により現状を維持しようとして交渉に熱心でないオランダとの立場が対立し交渉は難航した。両国関係は悪化し,62年に入るとインドネシアのゲリラ軍が西イリアンに潜入し,各地でオランダ軍と衝突した。同年8月,国連斡旋により両国間に「西イリアンに関する協定」が成立し,国連臨時行政局が一時行政権を掌握したのち,63年5月からインドネシア政府に行政権を移譲した。インドネシアの西イリアンに対する主権は,69年7~8月に行われた住民投票において,圧倒的多数がインドネシアへの帰属を希望したことにより正式に確定された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「西イリアン問題」の解説

西イリアン問題
にしイリアンもんだい

オランダとインドネシアがニューギニア西半部(イリアン−ジャヤ)の領有をめぐって争ったこと
1945年インドネシアは旧オランダ領から独立を宣言し,オランダとの間にハーグ協定(1949)を結んだが,西イリアンの帰属問題は未解決のまま残り,紛争が続いた。1962年国連の調停により西イリアン協定が成立し,63年インドネシアの行政権が認められた。その後1969年の住民投票によって正式にインドネシア領となった。

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