西洋医学所(読み)せいよういがくしょ

改訂新版 世界大百科事典 「西洋医学所」の意味・わかりやすい解説

西洋医学所 (せいよういがくしょ)

江戸幕府の西洋医学校。安政5年(1858)1月幕府の許可を得て伊東玄朴,戸塚静海,大槻俊斎,林洞海ら江戸在住の蘭方医83人が神田お玉ヶ池に設立した私営種痘館がその前身で,同年5月に開所したが12月の神田大火で類焼翌年再建された。万延1年(60)10月幕府の直轄となり種痘所改称,翌年西洋医学所と改称されて大槻俊斎が初代頭取となり,教授解剖種痘の3科が発足した。第2代頭取の緒方洪庵のときに医学所と改称,第3代頭取松本良順に至って学制がようやく整ったが,戊辰戦争で閉鎖された。維新後68年(明治1)6月江戸鎮台府により復活され,下谷和泉橋通の旧藤堂藩邸の仮病院と合併,旧幕府の医学館とともに東京府,鎮将府軍務官など所管を数転し,69年6月大学校所管となり,大学東校,東校,第一大学区医学校などの改称を経て,現在の東京大学医学部へとつながった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西洋医学所」の意味・わかりやすい解説

西洋医学所
せいよういがくしょ

江戸幕府が西洋医学を導入して教授させた医学校。安政5 (1858) 年5月7日,幕府の許可により伊東玄朴大槻俊斎など江戸の蘭方医八十余名が協力してお玉ヶ池に種痘所を開き,種痘のほか,診療にもあたった。しかし,同年 11月に火災で焼失し,翌年,下谷和泉橋に移転。万延1 (60) 年幕府はこれを収めて直轄の官学とし,種痘所と名づけ,大槻を長とした。翌年西洋医学所と改称し,教授,解剖,種痘の3科に分け,文久2 (62) 年伊東と林洞海に取締りを命じ,次いで竹内玄同が伊東に代った。この年,大槻が死亡し,大坂から緒方洪庵を招いて,西洋医学所頭取とした。同3年西洋の文字を除いて単に医学所と称し,緒方死後は,松本良順が頭取となり,学制を改め,理化学,解剖学,生理学,病理学,薬剤学,内科,外科の医学7科を定めた。明治1 (68) 年,新政府の所轄となり,翌年,大学東校と改称。幾多の変遷を経て 1878年,蕃書調所の後身,開成所と合体,東京大学医学部となった。

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大学事典 「西洋医学所」の解説

西洋医学所
せいよういがくしょ

幕末の西洋医学教育機関。1858年(安政5)伊藤玄朴,戸塚静海,大槻俊斎ら江戸市中の蘭方医82名の拠金により,神田お玉ヶ池に設立された種痘館がその母体である。翌1859年に下谷和泉橋通りに移転し,60年(万延1)には幕府の直轄となり種痘所と改称,さらに翌61年(文久1)に西洋医学所と改称,大槻俊斎が初代頭取となり,教授,解剖,種痘の3科が設けられ,蘭医学の教育機関となった。1862年,大槻の死後,幕府は大坂より緒方洪庵を招いてその後任とし,翌年医学所と改称された。緒方は諸規則を定めたがまもなく死去し,その後をうけて頭取に松本良順が昇格した。松本は長崎養生所と長崎医学所(日本初の近代的西洋医学校・病院)を完成させたポンペ(J.L.C. Pompe van Meerdervoort, 1829-1908)に師事し,その教則に従って医科7科を系統的に教授した。戊辰戦争で閉鎖されたが,明治政府は医学所を再興,医学校兼病院,大学東校,東京医学校などを経て東京大学医学部へと発展した。
著者: 橋本鉱市

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百科事典マイペディア 「西洋医学所」の意味・わかりやすい解説

西洋医学所【せいよういがくしょ】

1861年種痘所の改称により成立した幕府の医学機関。教授,解剖,種痘の3科が置かれた。1863年から単に医学所と呼ばれ,漢方の医学館を圧した。初代頭取大槻俊斎,2代緒方洪庵,3代松本良順。明治以降,医学校,大学東校,東京医学校などの名称を経て東大医学部に連なる。
→関連項目大学東校東京大学

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旺文社日本史事典 三訂版 「西洋医学所」の解説

西洋医学所
せいよういがくしょ

幕末,医学所の前身。

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世界大百科事典(旧版)内の西洋医学所の言及

【医学】より

…これは,業務としては種痘をすることであるが,蘭方医たちが集まって研修する場としても使われた。種痘の効果は幕府に認められ,60年(万延1)に直営の施設となり,さらに61年(文久1)西洋医学所と改称され,はっきりと教育機関としての性格を表に出すようになる。初代頭取は仙台藩医大槻俊斎,2代目は緒方洪庵である。…

※「西洋医学所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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