西洋史学(読み)せいようしがく

改訂新版 世界大百科事典 「西洋史学」の意味・わかりやすい解説

西洋史学 (せいようしがく)

日本の西洋史学は,日本史,東洋史と同様,1887年帝国大学(現,東京大学)に新設された史学科に,ドイツの歴史家L.リースが招かれ,近代歴史学の実証的な研究方法を伝えたことをつうじて,その学問的基礎を獲得した。その後,明治後期,大正から昭和10年ごろにいたる,いわば西洋史学の開拓時代には,リースがランケの門弟だったこともあって,箕作元八(近代フランス史),村川堅固(1875-1946,ギリシア・ローマ史)らに代表される政治史が主流で,大類伸(1884-1975),原随園(1894-1984)らのリードする文化史はむしろ副次的位置を占め,また一般に対象が著しく西欧諸大国にかたよる傾向を示した。この西欧志向は,明治いらいの〈文明開化〉主義を反映するものであり,日露戦争とともに根づいた国史,東洋史,西洋史の三学科体制と相まって,アジアにおける日本の先進国意識が歴史の研究・教育を深く規定するようになった。

 第1次大戦後の世界情勢の変化に対応して,ロシア史やアメリカ史への関心も芽生えたが,この分野の研究は長いあいだ啓蒙的な性格を脱せず,社会経済史,国制史にいたっては,日本史の分野に比べてはなはだしく立ち遅れていた。しかしその中にあって,箕作の自由主義的歴史観を受け継ぐ今井登志喜(1886-1950)が,大正末期いらいの日本における社会問題の深刻化に触発されつつ,イギリス社会史,都市発達史など斬新なテーマと取り組み,社会経済史的な考察方法を導入したことは,先駆的な意義をもっている。また上原専禄のドイツ中世史研究は,原史料の綿密な操作という点で,これまた画期的なものであり,その学統は経済史の面では増田四郎(1908-97),国制史の分野では堀米庸三(1913-75)に継承されて,第2次大戦後の西欧中世史研究を基礎づけることとなった。

 今井の門下からは,当時異端視されていたマルクス主義の歴史観に立つ新世代の研究者も輩出し,そこへ大塚久雄の理論的にすぐれた近代資本主義研究からの強い影響が加わって,日本の敗戦に続く戦後改革の時期には,かつての政治史にかわって社会経済史が学界の主流を形成した。〈近代化〉という実践的な問題意識のもとで,封建制,絶対主義,市民革命,産業革命などの諸問題が,世界史の立場から比較史的方法にもとづいて研究され,また現代史の分野では帝国主義と民族独立運動,ファシズムと国際的労働運動・社会主義革命などのテーマも,欧米学界の新たな成果や史料収集に支えられて,本格的に取り組まれるようになった。古典古代史の領域でも,村川堅太郎(1907-91)が市民共同体としてのポリス社会の諸問題に関する高度に実証的な研究の道をきりひらき,多くのすぐれた研究者を育てた。こうして西洋史学は,旧来のいわゆる人文科学の枠をこえて,新しい社会科学の諸分野,とりわけ経済史と密接に交流しつつ,研究の幅を飛躍的に広げたが,70年代以降は,戦後史学で支配的だった社会構成史や発展段階理論への反省から,民俗学や文化人類学などの方法に学びつつ,全体史的な観点に立つ〈社会史〉が提唱され,とりわけ中世史,初期近代史の分野で意欲的な研究が進められている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「西洋史学」の解説

西洋史学

日本西洋史学会の機関誌。西洋史研究に関する論文や研究動向を掲載する。1948年創刊。年2回発行。

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