西淀川区(読み)ニシヨドガワク

デジタル大辞泉 「西淀川区」の意味・読み・例文・類語

にしよどがわ‐く〔にしよどがは‐〕【西淀川区】

西淀川

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「西淀川区」の解説

西淀川区
にしよどがわく

面積:一三・一二平方キロ

大阪市の最北西部を占め、北から西は神崎川とその分流である左門殿さもんど川・中島なかじま川で兵庫県尼崎あまがさき市と境し、南西は大阪湾に臨み、南から東は新淀川で此花このはな区と福島区に対し、北東は東海道本線で淀川区と画される。新淀川を渡った阪神電鉄本線・同西大阪線が尼崎方面に向かい、同じく国道二号・同四三号、阪神高速大阪―池田線・同大阪―神戸線が通る。神崎川や淀川改修以前の中津川(現在の新淀川)によって形成された沖積低地で、南西部一帯は近世の埋立てによって成立した地域。

〔原始―中世〕

古代当区の西部は海浜の荒地であり、東部の野里のざと大和田おおわだ稗島ひえじま地域なども中津川河口の島であった可能性が高い。海中には諸河川の堆積作用で多くの島が形成されていた。御幣島みてじまは神功皇后が航行守護のため姫神を祀った地で、住吉社(現住吉区)領であり、六つの島からなっていたという。延暦四年(七八五)淀川と三国みくに(現神崎川)が結ばれ、三国川が舟運の本流になると、神崎かんざき(現尼崎市)加島かしま(現淀川区)江口えぐち(現東淀川区)が要港として賑った。当区域にも早くから開けた地域があったと考えられ、文芸作品などに地名がみえる。中世当区一帯を支配していたのは住吉社といわれ、「住吉松葉大記」に御幣島・大和田つくだ・野里を所領としてあげる。各地域に住吉神社がみられるのは、住吉神が水の神であるとともに、このような由緒と関係があろう。庄園としては崇禅そうぜん(現東淀川区)領野里庄・幣島てぐらじま庄がある。交通の要地であるためか戦乱に関する由緒を伝える土地が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西淀川区」の意味・わかりやすい解説

西淀川〔区〕
にしよどがわ

大阪市北西部,大阪湾にのぞむ区。 1925年第2次市域拡張に伴い新設。淀川河口の三角州に位置し,淀川,神崎川,左門殿 (さもんど) 川に囲まれる。御幣島 (みてじま) ,佃島 (つくだじま) ,出来島,中島,西島など島のつく地名が多い。江戸時代に新田として開発され,農・漁業の地であったが,明治以降,阪神電気鉄道本線,同西大阪線などが通じてから都市化が進み,第1次世界大戦後からは製鋼を中心に金属,機械,化学など重化学工業の大工場が進出,大阪臨海工業地域の一部をなす。一方,工業用の地下水揚水による地盤沈下で区域全体がゼロメートル地帯となり,その対策として地盤の土盛りと防潮堤築造が行われた。阪神高速3号神戸線,11号池田線,国道2号線,43号線などが通じる。面積 14.21km2。人口 9万5864(2020)。

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