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西田修平
にしだしゅうへい
(1910―1997)
陸上競技棒高跳びの名選手。和歌山県出身。早稲田(わせだ)大学卒業。1932年(昭和7)のロサンゼルス、36年のベルリン両オリンピック大会の棒高跳びで連続2位に入賞した。とくにベルリン大会では棒高跳び王国を誇るアメリカ勢3人を相手に大江季雄(すえお)とともに5時間余の死闘を演じたのは有名。優勝こそアメリカのメドウスに奪われたが、大江と2人で2、3位を獲得した。決定戦は日没と疲労のため日本関係者の判断に任され、結局、年齢差で2位西田、3位大江となった。このとき授与された銀、銅メダルを半分に割ってつなぎ合わせた「友情のメダル」のエピソードは世界の人々を感動させた。日本陸上競技連盟理事長などを務め、64年(昭和39)紫綬(しじゅ)褒章を受章。
[石井恒男]
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西田修平 にしだ-しゅうへい
1910-1997 昭和-平成時代の陸上競技選手,指導者。
明治43年3月21日生まれ。昭和7年ロス五輪,11年ベルリン五輪の棒高跳びで連続銀メダル。ベルリン五輪で大江季雄(すえお)と同記録で2位にならんだが,年長の西田が2位,大江が3位となる。帰国後ふたりは銀銅のメダルを折半し,「友情のメダル」といわれた。のち日本陸連理事長などをつとめた。平成9年4月13日死去。87歳。和歌山県出身。早大卒。
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世界大百科事典(旧版)内の西田修平の言及
【大江季雄】より
…慶大在学中,1936年ベルリン・オリンピック大会の日本代表選手に選ばれ,棒高跳びに出場。1位メドウス(アメリカ)の4m35に次ぎ,西田修平(早大)とともに4m25を跳んだが,順位は2位西田,3位大江と決まった。後に2人の銀と銅のメダルを半分ずつつないだのが〈友情のメダル〉として有名。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」