西郷(読み)サイゴウ

デジタル大辞泉 「西郷」の意味・読み・例文・類語

さいごう〔サイガウ〕【西郷】

姓氏の一。
[補説]「西郷」姓の人物
西郷隆盛さいごうたかもり
西郷従道さいごうつぐみち

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精選版 日本国語大辞典 「西郷」の意味・読み・例文・類語

さいごう サイガウ【西郷】

姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「西郷」の解説

西郷
さいごう

八尾やび川下流域にあった国衙領。南は海に臨み、北西側は原田はらだ郷、西は都万つま(現都万村)加茂かも、東は東郷と境を接していたと考えられる。正和元年(一三一二)八月の玉若酢命神社棟札写(億岐家古文書抄録)に西郷公文とみえ、久尊が聖教泉坊と相談して島前どうぜんでも勧進を行っているが、久尊自身は徳治元年(一三〇六)三月一四日の久尊書下写(隠岐国代考証)にその名がみえ、これ以前から西郷公文の地位にあったと考えられる。この久尊書下の署名部分には、「隠岐国代考証」の編者が記したと思われる「佐々木薩摩守下」の追記があり、公文久尊が佐々木薩摩守の配下にあったことを示していると考えられる。佐々木薩摩守は延慶三年(一三一〇)の国府尾神社棟札写(同書)に佐々木清秀とみえる人物で、佐々木系図(続群書類従本)にいう出雲・隠岐両国守護佐々木泰清の長男義重の孫にあたると推定される。清秀は文保元年(一三一七)二月一〇日、高井五左衛門尉と相談して護独ごどく(のちの護国寺)を造立するよう森重行に命じていて(「佐々木清秀書状写」隠岐国代考証)、当時隠岐国守護代であったと思われるが、久尊との関係からすれば、西郷の地頭(または地頭代)でもあったと考えられる。

西郷
さいごう

現上西郷・下西郷を中心にした地域に比定される。文暦二年(一二三五)九月一九日の関東御教書案(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文七)に「西郷」とみえ、宗像社雑掌が当郷沙汰人による本木もとぎ保内入免田二〇町・小武畠地等の押領について訴えている。文永一二年(一二七五)二月三〇日、六波羅探題北条義宗は筑前国守護武藤(少弐)覚恵(資能)に、大宮司宗像長氏代隆恵が訴えていた西郷住人手光小太郎兵衛入道礼念による宗像社神人などへの打擲・刃傷について、礼念の悪行狼藉を停止させ清祓を命じている(「六波羅御教書写」同文書/鎌倉遺文一五)。礼念は少弐氏の家臣で、少弐氏の勢力が西郷に及んでいたことが知られる。観応二年(一三五一)一一月二日、足利尊氏は大友氏泰に少弐頼尚跡の宗像西郷などを宛行っている(「足利尊氏宛行状」大友文書/南北朝遺文(九州編)三)。同三年一月七日、少弐宗祥(資経)が作成した亡父少弐妙恵(貞経)の本領注文状(筑紫古文書/宗像市史 史料編二)には宗像西郷が載るが、文和三年(一三五四)二月一二日、室町幕府は九州探題一色直氏に宗像西郷などを大友氏時に渡すよう命じている(「仁木頼章施行状」大友文書/南北朝遺文(九州編)三)

西郷
さいごう

真幸まさき院西郷のことで、現大字西郷を遺称地とするか。康永四年(一三四五)一一月二二日の開田出羽守領吉田村年貢濫妨事書(相良家文書)に、吉田よしだ村に押寄せ刈田狼藉などを行った一人として真幸院西郷公文野口平次郎重義の名がみえる。重義は西郷一分地頭飯岡氏の代官でもあり、吉田村地頭代坂氏とは用水や境について相論を繰返す間柄であったが、守護畠山直顕のもとで吉田村の一部を給与され、同村の地頭手作地百姓作地以下をことごとく刈取ったという。

西郷
さいごう

鎌倉中期にみえる郷名。正嘉二年(一二五八)一一月に作成された東郷庄下地中分絵図によると、東郷とうごう(現東郷町)の西側境界と北流する天神川に挟まれた地に「西郷」とみえる。康和五年(一一〇三)一〇月三日の年紀をもつ東郷町倭文しとり神社の経筒銘に「伯耆国河村東郷」とあり、初めは河村かわむら郡の東郷(のち庄園化して東郷庄となる)に対しての呼称であったと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「西郷」の意味・わかりやすい解説

西郷[村] (にしごう)

福島県南部,西白河郡の村。人口1万9767(2010)。白河市の西に位置し,南は栃木県那須町に接する。那須火山帯に属する甲子(かつし)山の南東麓にひろがり,東流する阿武隈川が高原を深く開析して渓谷をつくる。第2次大戦中までは馬産地として知られた。上流の高原では酪農,下流の平地では稲作を中心とする農業が行われるが,近年工場の進出がめざましく,純農村から都市近郊農村に変わっている。特に白河市と隣接するうちの南部地区には,東北自動車道白河インターチェンジ,東北新幹線新白河駅が設置され,以前からのパルプに加え,精密機械,電子部品などの工場群が形成されている。西部の甲子高原は日光国立公園に属し,阿武隈渓谷の自然美に囲まれた甲子温泉郷や,新甲子温泉内の〈キョロロン村〉などの観光施設には多くの観光客が訪れる。スキー場,ゴルフ場があり,別荘地開発も盛んである。陸上自衛隊白河布引山演習場,農林水産省種畜牧場(現,独立行政法人家畜改良センター),県の福祉施設〈太陽の国〉がある。
執筆者:

西郷(宮崎) (さいごう)

西郷(島根) (さいごう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西郷」の意味・わかりやすい解説

西郷
さいごう

島根県隠岐諸島,島後東部の地域。旧町名。 1904年町制。 1954年東郷,中条,磯の3村と合体。 1960年中村を編入。 2004年 10月に布施五箇都万の3村と合併し,隠岐の島町となる。隠岐の中心地。中心集落の西郷は西郷湾に流入する八尾川と宇尾川の三角州上に立地。古くは隠岐の国府,国分寺が置かれた政治の中心地であった。江戸時代には西回り航路の風待ち港,避難港として,明治以降は沖合い漁業基地として発展。西郷湾では真珠,ハマチの養殖が行なわれる。後醍醐天皇の配流の地として知られ,隠岐国分寺跡 (境内は史跡) ,玉若酢命神社などがあり,同神社の八百スギ,高尾暖地性濶葉樹林,沖島のオオミズナギドリ繁殖地は天然記念物。また,名勝・天然記念物の白島海岸,海苔田ノ鼻があり一帯は大山隠岐国立公園に属する。隠岐国分寺蓮華会舞は重要無形民俗文化財。本土と隠岐を結ぶ定期船の起点で,空港もある。

西郷
さいごう

宮崎県中北部,美郷町中部の旧村域。耳川中流域にある。 2006年南郷村,北郷村と合体して美郷町となる。江戸時代は延岡藩に属した。九州山地の南東側の斜面に位置し,大部分を山林が占め,農林業が主。耳川に九州電力の山須原発電所,西郷発電所,大内原発電所があり,県下有数の電力供給地帯。

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普及版 字通 「西郷」の読み・字形・画数・意味

【西郷】せいきよう

西向。

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