見玉尼(読み)けんぎょくに

朝日日本歴史人物事典 「見玉尼」の解説

見玉尼

没年文明5.7.14(1473.8.7)
生年:生年不詳
室町時代真宗の尼。蓮如次女本願寺に生まれたが祖父存如の妹見秀尼が住む浄土宗鎮西派浄華院吉田摂受庵に喝喰に出される。見秀尼の死を憂い病となり本願寺に帰参した。文明3(1471)年,蓮如の越前(福井県)吉崎行に同行したが同地で没した。浄華院は,本願寺の出自である日野家と縁深い寺院であり,多くの子女が入寺している。他宗から真宗に回心した見玉尼の信心ぶりを蓮如は高く評価し,その死に当たり「御文」で後生一大事が定まった信心の人として賛嘆した。<参考文献>遠藤一『戦国期真宗の歴史像』

(遠藤一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「見玉尼」の解説

見玉尼 けんぎょくに

1448-1472 室町時代の尼僧
文安5年生まれ。蓮如(れんにょ)の次女。禅宗喝食(かっしき)から浄土宗の京都浄華院にはいるが,のち本願寺にもどる。文明3年父の越前(えちぜん)(福井県)吉崎行きにしたがう。信心がさだまって極楽往生をとげた人と,父の「御文」にかかれている。文明4年8月14日死去。25歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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