覚忠(読み)かくちゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚忠」の解説

覚忠 かくちゅう

1118-1177 平安時代後期の僧。
元永元年生まれ。藤原忠通の子。天台宗近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺の増智師事。後白河上皇出家に際して戒師をつとめた。応保2年天台座主(ざす),のち園城寺長吏。その間の長寛2年(1164)大僧正に任じられた。歌人としても知られ,「千載和歌集」などの勅撰集に12首はいっている。治承(じしょう)元年10月16日死去。60歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の覚忠の言及

【観音】より

西国三十三所巡礼の創始者を10世紀の花山法皇に擬する伝承があるが,これはまったく信ずるに足りない。あるいは園城寺(三井寺)の僧行尊に始まったとする説もあるが,史料的にもっとも確実なのは,1161年(応保1),園城寺の僧覚忠が熊野那智から御室戸まで観音霊場三十三所を巡礼したという《寺門高僧記》の記載である。当初の三十三所巡礼は修験的色彩が強く,札所の順序も現在と異なるが,15世紀ごろから一般信者も参加する巡礼の大衆化が進み,那智青岸渡寺に始まり美濃谷汲寺に終わる札所の順序や巡礼歌をはじめ,現在の巡礼の諸形態がほぼ形成された。…

【西国三十三所】より

…三井園城寺の僧で,修験者として有名な行尊(1055‐1135)が始めたとも伝えられるが,札所の寺を詳細に検討すると,創立年代が事実とあわない点から,これらの説を用いることはできない。むしろ,1161年(応保1)正月に三十三所を巡礼した後で記した,覚忠の《巡礼記》の記事は信頼するに足るもので,彼によって創始されたものと考えてよかろう。覚忠は,公家として有名な九条兼実と,天台座主で《愚管抄》を著した慈円を兄にもち,修験者としても注目された人物である。…

※「覚忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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