覚憲(読み)かくけん

朝日日本歴史人物事典 「覚憲」の解説

覚憲

没年建暦2.12(1212)
生年:天承1(1131)
鎌倉初期の興福寺学僧。晩年,壺坂寺に居住したので壺坂僧正とも呼ばれる。父は藤原通憲。兄に唱導の大家澄 憲,高野山明 遍,甥に笠置寺貞慶など当時の仏教界の枢要を占める高僧が揃っている。幼くして法相宗の碩学蔵俊の教えを受け唯識学を修めた。養和1(1181)年,興福寺権別当に任ぜられて前年に平重衡の焼き討ちで焼失した寺の再興に努めた。南都仏教界での衆望は厚く,建久1(1190)年,権僧正に任ぜられ,同6年の東大寺大仏殿供養会には導師を勤めている。『因明鈔』5巻の教学書のほか,仏教史書『三国通鈔』(『三国伝燈記』の誤伝か)が知られる。

(追塩千尋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚憲」の解説

覚憲 かくけん

1131-1213* 平安後期-鎌倉時代の僧。
天承元年生まれ。藤原通憲(みちのり)の5男。興福寺にはいり,蔵俊にしたがい出家,唯識,法相(ほっそう)をまなぶ。のち興福寺の別当となり,焼失した同寺の再興に力をつくす。建久6年(1195)東大寺大仏殿落慶供養の導師をつとめた。壺坂僧正とよばれた。建暦(けんりゃく)2年12月17日死去。82歳。著作に「因明抄」「三国通鈔」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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