親方・子方(読み)おやかたこかた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「親方・子方」の意味・わかりやすい解説

親方・子方
おやかたこかた

親分・子分あるいはオヤ・コともいわれる。一般的な意味は、実の親でない者、あるいは子でない者が、互いに、親とみなされてその役割を果たしたり、あるいは子とみなされてその役割を果たしたりするときの意味で使われる。日本語の起源は、オヤ・コにあると考えられる。オヤ・コは、漢字では親・子という文字をあてることが多いので、実の親・子をさすように考えられているが、かならずしもそうではなかった。実の親・子をさすのには、別にウミノオヤ・ウミノコということばが使われていたのである。オヤ・コというのは、古代において、氏族制度下の労働組織の長と、その労働単位としての働き手をさすことばであった。そして、それには主従の意味が含まれていた。

 ところで、氏族制度が解体するにつれて、血縁集団と労働組織が、かならずしも一致しなくなった。その段階で、血縁集団のほうをオヤ・コといい、これと分けて労働組織のほうの関係を言い表すために、オヤカタ・コカタということばが使われるようになった。このように、血縁の実の親・子と、非血縁の主従関係にある親方・子方という二つのことばは、同一の文化的起源をもって発生したことばであった。したがって、親方・子方関係は実の親・子の擬制的関係であるとする解釈は、適当ではない。

[二宮哲雄]

親子成りの型

非血縁者がオヤ・コ関係を結ぶことを総称して「親子成り」というが、それには二つの型がある。一つは、生まれてまもなく幼少期に仮の親をとる型であり、二つは、成年期に達するころに親をとる型である。前者には、出産時の取上げ親、厄年に生まれた子の拾い親、名前をつけてもらう名付け親などがある。また後者には、成年式のときの烏帽子(えぼし)親、鉄漿(かね)親、結婚時の仲人(なこうど)親などがある。これらの例は非常に多いが、いずれも人生途上不安のある時期に親どりを行う場合が多い。このうち、普通、親方・子方あるいは親分・子分とよばれるのは、社会的に不安の感ぜられる時期に結ばれる第二の型のものについてである。

 こうした親方・子方関係が結ばれるときは、一定の儀礼を踏むのが常である。そしてその関係が結ばれたあとは、そこには親方の保護と、それに対する子方の奉仕の関係が付き物となる。この場合親方は、精神的保護を与えるだけでなく、物質的にも保護を行うことが多い。それに対して子方は、親方に労力を提供したり、年中行事の手伝いをしたりする。

[二宮哲雄]

本家・分家

家の制度が発達した時代や社会では、親方・子方関係は、家を単位として結ばれた。そして本家が親方となり、分家が子方となった。この場合分家といっても、血縁分家だけでなく、非血縁の奉公人分家も含んだ。オヤという漢字には祖という文字もあてられたが、このことばには、嫡系の家とか本家をさす意味もあった。それと非嫡系(傍系)の分家との間で、親方・子方関係が結ばれたわけであった。家の制度が解体化したり、本家が弱体化したりすると、分家が本家でない他の有力家を求めて親方どりをしたり、またもともと本家・分家関係のない家に求めたりすることも生じた。また、家と家との関係によらず、個人と個人の間で結ばれるということも生じるようになった。親方・子方関係は、農村では、地主本家と小作分家の間で結ばれるという形も一般的であった。また、都市の商工家の間で結ばれたり、やくざや的屋(てきや)の社会で結ばれることもあった。

 総じて親方・子方、親分・子分の関係は、前近代的性格をもったものといわざるをえないが、近代社会になっても、企業や官庁、政党内の派閥あるいは学閥などのなかに、親分・子分の変形が現れることもある。

[二宮哲雄]

日本社会の家族主義的性格

以上みてきたところからも明らかなように、日本の社会を扇とした場合、そのかなめにあたるものはオヤであると考えることができる。この点、わが国の社会構造をみても、オヤあるいはオヤ・コ関係の原理は、伝統的な農村社会では、家族(家)、親族、近隣、村落を貫き、ひいては全体社会をも貫いていた。このことは都市社会においても多分にいえる。わが国社会の日本的性格は、このようなところに求められてよい。これは、親方・子方関係が外国ではほとんどみつけだされないことからもいえる。類似のものは、古代ローマのパトロン・デア・クリエンテンPatron der Klienten(平民保護貴族)や、ヨーロッパのハンブルガ・ツィマロイテHamburger Zimmerleute(徒弟の大工組合)、あるいは洗礼の場合のコムペールCompère代父)やコムメールCommère(代母)など、あるにはあるが、日本のものと同じ性格のものかどうかわかっていない。またもし同じ性格のものだとしても、日本のものほどの一般性はない。

[二宮哲雄]

『『定本柳田国男集15』(1969・筑摩書房)』『中野卓他編『有賀喜左衞門著作集Ⅸ』(1970・未来社)』『岩井弘融著『病理集団の構造――親分乾分集団研究』(1963・誠信書房)』『中野卓著『商家同族団の研究』(1964・未来社)』『日本民俗学会編『日本民俗学の課題――柳田国男生誕百年記念研究発表』(1978・弘文堂)』『二宮哲雄著『ムラと組』(『講座日本の民俗 二 社会構成』所収・1980・有精堂)』『二宮哲雄他編著『現代社会学の人間的考察』(1977・アカデミア出版会)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「親方・子方」の解説

親方・子方
おやかた・こかた

親分・子分とも。親方・子方関係とは子方が親方へ従属・奉仕するのと引替えに,親方は子方を庇護・援助するという人格的な社会関係で,個人間だけでなく家どうしの関係として,近世~近代に広くみられる。都市部では商家の主人と子飼の奉公人,商家同族団内での本家と分家,職人の親方と弟子がこれにあたり,得意先の分与や経営上の支援,技術の伝授などと引替えに,親方への奉仕や協力が義務づけられた。農村部では有力な百姓とそこから分出した血縁・非血縁の分家や,大地主とそれに経済的に隷属する小作人との関係にあたる。耕作地の分与や生活上の保護をうけるかわりに,冠婚葬祭などにかかわる労働提供などが求められた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「親方・子方」の解説

親方・子方
おやかた・こかた

封建社会における人間関係の一形態
親分・子分ともいう。社会の各方面において支配・被支配,保護・服従などの関係を親子関係になぞらえて強化したもので,単なる情宜 (じようぎ) でなく,強者と弱者との隷属的結合関係が強い。中世の惣領と庶子,近世以降の主人と奉公人,地主と小作人,網元と網子の関係などである。

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百科事典マイペディア 「親方・子方」の意味・わかりやすい解説

親方・子方【おやかた・こかた】

親分・子分

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世界大百科事典(旧版)内の親方・子方の言及

【親分・子分】より

…親方・子方と同義。今日ではヤクザや政界の派閥など闇の世界のそれに限られたもののように連想されがちであるが,この民俗語は社会学,民俗学,社会人類学では日本社会の構造を解明するうえで重要な術語のひとつになっている。…

※「親方・子方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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