言語情報処理(読み)げんごじょうほうしょり(英語表記)linguistic information processing

最新 心理学事典 「言語情報処理」の解説

げんごじょうほうしょり
言語情報処理
linguistic information processing

言語にかかわる認知処理を広く言語情報処理という。ここでは認知言語学観点と,コンピュータなどによる言語情報処理の観点について概説する。

【認知言語学cognitive linguistics】 言語と認知の多面的な関係については従来より心理学的な観点から関心がもたれてきた(Clark,H.,& Clark,E.,1977;Slobin,D.I.,1978)。認知言語学は,この問題に本格的に取り組み,従来の言語学の部門分けから基本概念までを根本的に作り直そうとする試みということができる。ラネカーLangacker,R.W.によれば,認知言語学の誕生が告げられたのは1989年のシンポジウムにおいてであった。しかしそこに至るまでにはさまざまな研究の流れがあった。ラネカー自身の認知文法の前身の空間文法が着想されたのは1976年である。そのほか主な研究だけでもギボンGivon,T.らの機能主義的文法論,ターミーTalmy,L.の認知意味論,レイコフLakoff,G.らのメタファー論とカテゴリー化研究,フィルモアFillmore,C.J.らの構文文法,フォコニエFauconnier,G.のメンタル・スペース理論などがある。さらにルメルハートRumelhart,D.E.らの並列分散処理モデルparallel distributed processing model(PDP)もこの流れに含めて考える。これらの流れは,統語論の自律性の否定を共有する。言語能力が一般的な認知メカニズムを利用してその上に成り立っていると考えるからである。

 ラネカーの認知文法cognitive grammarは,言語表現の意味を概念化または認知処理過程と同一視する。ここで言語表現linguistic expressionとは,「意味極」とよばれる意味と「音韻極」とよばれる音韻(手話も含まれる)の合体した言語記号のことである。しかしその大きさは語に限られず文法形態素から文にまでわたる。認知文法は,語彙,形態,統語などの伝統的な部門分けを廃止し,文法規則に先立ち具体的な言語表現のリスト作成をめざすという意味において「用法に基づいた」理論である。認知文法の特色の一つは,言語表現の意味を概念化として表現するための図(イメージ・スキーマimage schemaとよばれることもある)の多用である。言語表現の概念基盤を(認知)ドメインとよび,その中で意味解釈にかかわる範囲をスコープとよんで四角い枠で表わす。その中で指示対象を太線で表わしプロファイルとよぶ(図)。スコープ内の関与者のうち顕著性のいちばん高い要素をトラジェクターとよび,二番目に顕著性が高い要素をランドマークとよぶ。トラジェクターとランドマークは,変項の役割も果たし表現の合成性を保証する。スコープには物だけでなく時間の流れがかかわるプロセスが含まれることもある。さらに人間の注意の払い方を心内スキャニングとしてとらえる。こういった道具立てとその組み合わせが表現する関係が概念化を表わす。認知文法はこういった道具立てによって,言語表現の意味の違いをはじめ,名詞や動詞といった品詞から,主要部や補部,主語や目的語などの概念までとらえ直そうとする。

 フォコニエのメンタル・スペース理論mental space theoryは,名詞句や前提に関する意味論である。たとえば名詞句であれば,その指示対象が属するのは,絵画であったりだれかの信念であったりする。そこで「だれそれの絵では」とか「だれそれが信じるところでは」のような表現をスペース導入表現とよび,この種の表現が現われたら絵画とか信念などの心内表象を設定する。これをメンタル・スペースとよぶ。メンタル・スペースの種類には,現実,絵画,写真,映画,時間,仮定などがある。メンタル・スペース内の要素(トリガー)は別のメンタル・スペース内の要素(ターゲット)を指示することができる。たとえば,「この映画(メンタル・スペース)では,彼(トリガー)が探偵(ターゲット)を演じている」ということになる。そして,この指示関係をトリガーがターゲットにコネクターによって結合されているとする。メンタル・スペース理論は,このような道具立てによって言語表現の意味をメンタル・スペース間でのトリガーからターゲットへの結合状態として分析する。

 ドウアティDougherty,J.W.D.(1985)によれば,認知人類学は文化を心的現象とみなし,多様な文化領域の根底にあって,それらを統合する知識システムを研究する分野であると自らを定義する。認知人類学がめざすのは,共有知識に関する認知的文化モデルcognitive models of cultureの構築である。なぜならば,人類学の研究対象は社会的な世界に存在するものであり,社会的な世界に存在するものは共有知識との関係においてとらえるしかないからである(Quinn,N.,& Holland,D.,1987)。認知的文化モデルの構築には,基本範疇や規則のほか,プロトタイプ,イメージ,メタファー,スキーマ,スクリプト,方略などの多様な概念が利用される。レイコフ(1987)による理想認知モデルは,認知的文化モデルの一例であるということができる。【コンピュータなどによる言語情報処理】 1950年代,マッカーシーMcCarthy,J.により人工知能artificial intelligence(AI:人間の知的活動をコンピュータで模擬しようとするプログラムやシステム)という概念が導入され,コンピュータに会話をさせる,コンピュータに翻訳をさせる,などの試みが行なわれた。しかし1980年代半ば以降は,人間の認知機構に関する考察をあまり含まない,統計解析などの工学的手法の利用が自然言語処理などにおいて広がっており,人工知能や自然言語処理と心理学や認知科学とのつながりは薄れつつある。とくに1990年代後半以降は,ウェブなどから得られる大量のテキストデータを統計的に解析することによって情報を抽出する技術の産業上の重要性が増し,研究開発が盛んになされている。

 たとえば,なんらかのデータベースを用いて質問への回答を返す質問応答システムに関する最近の研究開発では,通常の関係データベースなどではなくウェブなどのテキストから抽出した「知識」を用いることが多くなった。アメリカでクイズ番組「Jeopardy!」のチャンピオンに勝ったIBMのコンピュータ・プログラムであるワトソンWatsonの「知識」も,ウィキペディアWikipediaなどの膨大なテキストから抽出したものである。さらに,ツイッターTwitterなどのソーシャル・ネットワークサービスのテキストマイニングtext mining(テキストを単語,節などに分析し,統計的な手法により有用な情報を取り出す手続き)によって商品やサービスの評判や病気の流行や災害時の安否に関する情報を抽出したり,大量の論文などのテキストマイニングによって学術的な知見を抽出したりするための研究が多くなされている。個々の文などの解析の精度は1990年代以降ほとんど向上していないが,大量のテキストデータを処理することによって全体として有用な「知識」を抽出する技術は実用化されつつあり,広く用いられるようになっている。

 こうした統計的・工学的な手法から心理学的に意味のある知見が得られることは,少なくともこれまでのところあまりなかった。ヘイルHale,J.(2006)やレビLevy,R.(2008)は,並列統語解析における確率的な指標に基づいて袋小路現象(たとえば,「The horse raced past the barn fell.」という文において,最初は「raced」を文全体の主動詞として解釈していたのに,「fell」によってその解釈が崩れ,また「raced」を「horse」にかかる過去分詞とする解釈を思いつきにくい)などを説明しているが,このように統計的な手法と心的な処理過程とを結び付ける研究は,最近は少ない。白松俊らはゲーム理論に基づいて言語表現と指示対象の対応関係のモデルを構築しているが(Shiramatsu,S.et al.,2008),ゲーム理論は心的な処理過程とは無関係なので,心理的実在性を問えるのは心内の処理ではなく,外的な行動のレベルにおいてである。

 また,2005年に始まったアマゾンAmazonのメカニカルタークMechanical Turk以来,クラウドソーシングcrowd sourcing(人間が機械に優る知的作業を多数の人間に分担させる人海戦術)が多くの用途において広まっており,言語情報処理においても,手書き文書の電子テキスト化や翻訳の修正などに関して実用化されつつある。グーグルGoogle翻訳やアップルAppleの音声対話インターフェースのシリSiriや産業技術総合研究所の音声データ検索サービスのポッドキャッスルPodcastleでは,翻訳や音声認識の結果を利用者が修正することができるが,その結果がサーバーに集約されシステムの学習に用いられることにより,処理の精度が持続的に向上する。このように使われれば使われるほどサービスの質が高まるしくみも,クラウドソーシングと並ぶ集合知の活用法として普及しつつある。

 このように,最近の言語情報処理は,個人の心内での単語や文の個別的な処理過程よりもむしろ大規模な社会的相互作用を対象としている。認知心理学よりもむしろ行動主義心理学,社会心理学,行動経済学との関係が深く,個人の心的過程よりもむしろ集団や社会の行動を扱っているという意味で,全体としてはより巨視的なレベルに移行しているといえよう。 →情報処理 →ニューラルネットワークモデル
〔金子 康朗〕・〔橋田 浩一〕

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