記紀批判(読み)ききひはん

改訂新版 世界大百科事典 「記紀批判」の意味・わかりやすい解説

記紀批判 (ききひはん)

古事記》《日本書紀》の史料的性格を検証・確定する学問手続。記紀の記載内容がどのあたりから信じられるかという点について,すでに江戸時代の山片蟠桃が〈神功皇后ノ三韓退治ハ妄説多シ。応神ヨリハ確実トスベシ〉〈神武ヨリ千年ホドノ間ハ神代ノ名残(なごり)ニテ,史ニハイカニ載タリトモ,ミナコシラヘゴトナリ〉とみた。また藤(井)貞幹は〈神武天皇の御末は仲哀天皇にて尽させ玉ふ。応神天皇は何くより出させ玉ふや〉と皇統断絶を述べた。しかし記紀の記載内容を仲哀以前と応神以降とに区別することが,学問的手続によってはっきりと論じられたのは明治以降である。明治期の紀年論においては,応神朝が紀年を比定する際の定点とされ,神功皇后の〈征韓〉物語は4世紀後半のことと位置づけられた。大正期の津田左右吉の記紀批判は,その〈征韓〉物語から遡及して〈神武東征〉までの物語に逐一,批判的検討を加え,仲哀以前の物語は神代の物語と同様,皇室が日本を統治する由来を整然と説いた政治的述作と結論づけた。また津田は《古事記》はその序文にいう帝紀(系譜)と旧辞(物語)に二分できるとし,物語があるのは顕宗記までとみて,〈其の時から程遠からぬ後,即ち継体・欽明朝ごろに一と通りはまとめられてゐた〉ものと記紀の成立を見通した。以上の津田説の基本は第2次世界大戦後の研究にひきつがれ,津田の物語批判の上に系譜・帝紀の信憑性が論じられた。応神以降の簡単で実名的な天皇名に対して,津田が荘重で諡号(しごう)的と指摘した仲哀以前の天皇名に多くみられるタラシヒコやヤマトネコは,7~8世紀のやはりタラシヒコやヤマトネコをもつ天皇諡号の反映とみて,仲哀以前の天皇の実在が否定されている。一方,応神以降の帝紀の内容・系譜は,後世の籍帳などにみえる御名代(みなしろ)(王名をつけた部)の存在や倭の五王の比定などにより,信じられると考えられてきた。近年,津田が帝紀・旧辞の成立期とみなした継体・欽明朝の問題(継体新王朝や継体・欽明朝の内乱)から〈応神5世孫〉とする継体系譜の信憑性,あるいは倭の五王の根本史料である《宋書》に珍と済の2王間に続柄記述がないことから,応神・仁徳系譜全体の信憑性が問われている。
王朝交替論
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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