設楽氏(読み)したらうじ

改訂新版 世界大百科事典 「設楽氏」の意味・わかりやすい解説

設楽氏 (したらうじ)

三河国の武士近世の所伝では菅原氏末裔とするが,在庁官人三河伴氏一族とみられる。設楽郡中設楽郷(現,東栄町)を名字の地とする説もあるが不明。源義家に従って後三年の役に出陣した資兼が系図以外での初見。保元の乱の義朝方に設楽兵藤武者がある。鎌倉時代には一族富永氏とともに三河守護足利氏の被官で,足利氏所領奉行番文に太郎兵衛入道がみえる。室町前期には将軍近習の一員として諸記録に散見し,伯耆周防などで所領給付をうけた。奉公衆体制では二番衆に属し,御産所番役中の鳴弦役を家職とした。1456年(康正2)には設楽郡下郷河路村(現,新城市)の段銭を京済しており,当時の本領らしい。応仁の乱後,下国したが,山家三方衆の勃興によって衰退。戦国期は今川氏に属したが,貞通が1561年(永禄4)徳川家康に従い,関東移封後は武蔵で3000石。近世は旗本に3家,紀州家に1家あり,ほかに鎌倉期分立らしい後北条旧臣家がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android