詩仙堂(読み)しせんどう

精選版 日本国語大辞典 「詩仙堂」の意味・読み・例文・類語

しせん‐どう ‥ダウ【詩仙堂】

江戸初期の文人石川丈山の隠棲した所。京都市左京区一乗寺門口町にある。寛永一八年(一六四一)創立。詩仙の間の小壁に丈山書、狩野探幽画の李白(りはく)杜甫(とほ)など中国三六詩仙の詩と像とがかかげられている。詩仙堂丈山寺。

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デジタル大辞泉 「詩仙堂」の意味・読み・例文・類語

しせん‐どう〔‐ダウ〕【詩仙堂】

京都市左京区一乗寺にある石川丈山の旧宅。寛永18年(1641)落成。狩野探幽かのうたんゆうらの筆になる、中国の三十六詩仙の肖像がある。中央を白砂敷きとした庭園でも知られる。

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日本歴史地名大系 「詩仙堂」の解説

詩仙堂
しせんどう

[現在地名]左京区一乗寺門口町

瓜生うりゆう山の北西麓、一乗寺下いちじようじさがり松の東に位置する。江戸時代初期の文人石川丈山の隠棲した草庵で詩仙堂と称したが、昭和四一年(一九六六)詩仙堂丈山じようざん寺と改め、曹洞宗に属した。国指定史跡。石川丈山は名を重之といい三河武士として豪勇をもって知られたが、大坂夏の陣に抜駆けの功名をあげ、軍規違反の処罰を受けるに至って武士を辞し、藤原惺窩を師として学問の道に入った。一時安芸の浅野家に仕えたが、のち京都に戻りこの地に隠棲した。

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国指定史跡ガイド 「詩仙堂」の解説

しせんどう【詩仙堂】


京都府京都市左京区一乗寺門口町にある寺院。もとは徳川家の家臣だった石川丈山(じょうざん)が、1641年(寛永18)に隠居のために造営した山荘で、現在は曹洞宗の禅寺。正式名称を詩仙堂丈山寺という。丈山は大坂夏の陣で手柄を立てたものの、先陣争いを禁じた家康の命令に背いたとして功を認められず、地位を投げ出して文人の道を歩んだ。その後に仕えた浅野家の転封にともなって広島に住み、やがて京都に戻ってこの地に草庵を結び、以後31年にわたって隠居生活を送ったという。名前の由来は「詩仙の間」の四方の壁に、中国の詩人36人の肖像と丈山自身が書き加えたそれぞれの詩を掲げたことによる。詩仙は日本の三十六歌仙にならって林羅山(はやしらざん)の意見を求めながら、漢・晋(しん)・唐・宋の各時代から選ばれ、肖像は狩野探幽(かのうたんゆう)によって描かれた。詩仙堂は凹凸窠(おうとつか)ともいう。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味で、建物や庭園は山の斜面と谷間に沿って造られている。丈山は「詩仙の間」を含めて建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた。丈山は小堀遠州と並んで江戸初期の庭作り名人として知られ、自身によって設計された庭は四季折々に花が咲き、秋の紅葉風情がある。庭の僧都(そうず)(ししおどし)は丈山が考案したと伝えられる。1928年(昭和3)に国の史跡に指定された。JR東海道新幹線ほか京都駅から市バス「一乗寺下り松町」下車、徒歩約5分。

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改訂新版 世界大百科事典 「詩仙堂」の意味・わかりやすい解説

詩仙堂 (しせんどう)

江戸初期の文人石川丈山が隠棲した山荘。京都市左京区にある。1966年詩仙堂丈山寺と改め,曹洞宗に属す。丈山はもと徳川家康の臣,大坂の陣で家康の忌避にふれて致仕した。晩年の約30年間,この山荘で文雅を友とする生活を送った。詩仙堂の名は,山荘の一室〈詩仙の間〉の四方の長押(なげし)上に36人の中国の詩仙の額を掲げ,おのおの丈山が題詩首句を,狩野探幽が肖像を描いていることに由来する。建物は1641年(寛永18)に完成,1748年(寛延1)庭とともに改修,さらに1967年大改修が加えられた。庭はでこぼこの地形を巧みに利用し,東に滝,正面にツツジの刈込み,西方に修学院の田園風景を借景にし,庭の奥から丈山考案になる鹿威(ししおどし)の僧都の音が響いている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「詩仙堂」の意味・わかりやすい解説

詩仙堂
しせんどう

京都市左京区一乗寺門口町(もんぐちちょう)にある山荘。江戸初期の文人石川丈山(じょうざん)が隠棲(いんせい)した。詩仙の間とよばれる堂内の四方の壁に、三十六歌仙に倣った中国漢・晋(しん)・唐・宋(そう)の詩人36人の額(狩野探幽(かのうたんゆう)・尚信(なおのぶ)画、丈山詩)を掲げたところから詩仙堂の名が生まれた。1640年(寛永17)着工、翌年完成。丈山は以来ここに移り住み、72年(寛文12)5月、90歳で没した。以後、丈山を慕って訪れる人も多く、1748年(寛延1)に建物・庭園が改修され、1967年(昭和42)には大改修が加えられた。庭園は東南山際に滝をつくり、敷地を貫流する渓流を設け、下部を刈込(かりこみ)物、上部を雑木林とし、中央は白砂敷きとし、閑雅なたたずまいをみせている。点景物に丈山愛好の織部灯籠(おりべとうろう)やししおどしなどがある。なお、1966年(昭和41)からは曹洞(そうとう)宗の寺院となり、詩仙堂丈山寺という。国指定史跡。

[重森完途]

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百科事典マイペディア 「詩仙堂」の意味・わかりやすい解説

詩仙堂【しせんどう】

京都市左京区一乗寺にある石川丈山晩年の隠棲(いんせい)所。現在は詩仙堂丈山寺と称する曹洞宗の寺。1636年に建築,4畳半の部屋に中国の詩人36人の肖像画を掲げ〈詩仙の間〉とした。仏間の上層に嘯月(しょうげつ)楼と呼ぶ望楼がある。文人の住宅として前面の庭とともに風趣に富む。5月23日に丈山忌が営まれる。
→関連項目一乗寺

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「詩仙堂」の意味・わかりやすい解説

詩仙堂
しせんどう

京都市左京区一乗寺にある閑居所。江戸時代初期の漢詩人石川丈山が,寛永 18 (1641) 年に建てた。堂内の一室の四方の壁に狩野探幽筆の中国の唐宋の詩仙 36人と和歌の三十六歌仙の像が描かれているので,この名がある。丈山は寛文 14 (1674) 年に没するまで,ここに文人風の作庭を行なったが,没後荒廃し,文政年間 (19世紀前半) に改修された。

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