課役(読み)カエキ

デジタル大辞泉 「課役」の意味・読み・例文・類語

か‐えき〔クワ‐〕【課役】

仕事を割り当てること。また、割り当てられた仕事。
律令制で、調えき租税夫役ぶやくかやく

か‐やく〔クワ‐〕【課役】

かえき(課役)

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精選版 日本国語大辞典 「課役」の意味・読み・例文・類語

か‐やく クヮ‥【課役】

〘名〙
① 令制で、課と役。課は調(ちょう)、役は労役で庸と雑徭を意味する。
※続日本紀‐慶雲元年(704)一〇月丁巳「以水旱失時、年穀不一レ稔、免并当年田租
中世以降、公領、荘園に課せられた諸負担。臨時の事業などに際して米銭、労役を徴すること。
吾妻鏡‐文治四年(1188)九月三日「可早任先例、令上レ任国衙課事」
太平記(14C後)一二「諸国地頭御家人の所領に課(クヮヤク)を懸けらるる条、神慮にも違ひ驕誇(けうくゎ)の端(はし)とも成りぬと」 〔後漢書‐樊宏伝〕
③ 課題や仕事を割り当てること。また、割り当てられた課題や仕事。
庭訓往来(1394‐1428頃)「一種一瓶者。衆中課役」
※歌舞伎・四千両小判梅葉(1885)二幕「それより課役(クヮヤク)の廻りを見附け、薪屋の蔭へ隠れた時は、どっきり胸へこたへました」

か‐えき クヮ‥【課役】

※布令字弁(1868‐72)〈知足蹄原子〉四「課役 クヮエキ ウンゼウブヤクノコト」

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改訂新版 世界大百科事典 「課役」の意味・わかりやすい解説

課役 (かえき)

中国,隋・唐時代の成文法典《律令》に定められた公課の呼称。〈かやく〉ともいう。課は割り当てて徴収する,役は労役に徴発する意味の動詞,名詞で,これを組み合わせて公課の主体を指称した。その内容は(丁あたり粟2石)と調(丁あたり絹2丈,あるいは麻布2丈5尺,それに付属物として絹糸,綿(まわた)あるいは麻糸が加わる)および役(年間20日間の力役,中央政府が徴発し主都の建設,土木工事等に使われる)の3種よりなる。役は1日当り3尺の絹(あるいは3尺7寸5分の麻布)に換算代納されるのが一般となり,これはと呼ばれ,課役は租庸調を意味するようになった。かように公課が成丁ひとりひとりに賦課されたのは,成丁に田地を分給する均田制が背後に想定されたからであるが,7世紀後期には土地不足等による均田制のゆきづまりが顕在化し,課役以外の地税(所有田土面積に応じて賦課)や税銭(資産等に応じて各戸から徴集)等に公課の比重が移行するようになった。
租庸調
執筆者:

古代律令国家の税制用語で,個々の税目ではなく,それらを総称する場合に用いられた。課は,和訓では〈みつぎ〉とよむのがふつうで,物納租税である調をさし,役は〈えだち〉とよみ,労働力を収取する歳役(さいえき)と雑徭(ぞうよう)とをさす。ただし中央政府が農民を年に10日使役する歳役は,実際にはと呼ばれる物納租税に代えられることが多かったから,課は調,役は庸と雑徭とをさすのが通例であった。また課に田租()がふくまれることもあった。すなわち賦役令の水旱条では,水旱虫霜によって稲作に被害が出た場合,損失が5分以上なら田租を,7分以上なら田租と調を,8分以上なら課役を免ずることを定めているが,この課に田租がふくまれていることは明らかであろう。これは日本令の母法である唐令では,課に田租がふくまれていたため,それを水旱条で機械的に踏襲したところから混乱が生じたものと考えられる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「課役」の意味・わかりやすい解説

課役【かやく】

〈かえき〉ともいう。律令制下での調(ちょう)・庸(よう)・雑徭(ぞうよう)の総称。本来中国隋唐期の税制を示す用語で,唐の時代には租(そ)・調・歳役(さいえき)の総称であったが,丁(てい)あたり年間20日が課された歳役から絹・布で代納する庸に移行し,租庸調を意味するようになった。中国の律令制に倣った日本では,田地に賦課される租は課役には含まれず,物納租税である調と労働力を徴収する歳役・雑徭を意味した。だが実際には歳役は庸で徴収され,養老令(ようろうりょう)では調・庸・雑徭の3種の総称となっている。課役の負担者は課口(かこう)・課(か),課口のいる戸は課戸(かこ),課口のいない戸は不課戸(ふかこ)と称され,戸籍・計帳(けいちょう)に記載された。律令国家の衰退により,次第に租税一般を指す呼称に変化した。
→関連項目一国平均役荘園(日本)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「課役」の意味・わかりやすい解説

課役
かえき

律令(りつりょう)制における基本的な人頭税。中国の晋(しん)・南北朝期に整備され、隋(ずい)に至って確立した。本来は力役を賦課するという意味であったが、均田制に対応する農民の負担義務として丁男(ていなん)の人頭税を表示する語となった。しかし、力役(歳役(さいえき)、雑徭(ぞうよう))のみをさすとする説もある。一般には、唐制の税目としては、「課」が租(そ)(粟(もみごめ)2石)、調(ちょう)(絹絁(きぬあしぎぬ)2丈、または布2丈5尺)で、「役」が歳役(年20日)かそのかわりの庸(よう)(1日に絹絁3尺、または布3尺7寸5分)をさし、21~59歳の男子が納めた。8世紀末には両税法に転換する。

 日本では、「課」が調のみ、「役」が庸(ときには雑徭も含む)で、人頭税と班田は対応しなかったので田租は除外される。平安期には地税化した。

[明石一紀]

『曽我部静雄著『均田法とその税役制度』(1953・講談社)』

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普及版 字通 「課役」の読み・字形・画数・意味

【課役】か(くわ)えき

わりあてて使う。租税と力役。〔隋書、高祖紀下〕(開皇十八年)秋七壬申、詔して河南州の水あるを以て、其の課役をず。

字通「課」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「課役」の解説

課役
かやく

「かえき」とも。律令制で税制の中心をなす法制用語。課は元来は人頭物納税の総称であるが日本では調(ちょう)をさし,また役は歳役(さいえき)と雑徭(ぞうよう)をさすが,歳役は実際には庸(よう)で徴収されたので,養老令では課役は原則として調・庸・雑徭の総称である。唐令では課役は租・調・歳役をさし,正丁(せいてい)に対して均額に賦課された人頭課税で均田制に対応するものである。しかし日本では雑徭を含んで田租を含まず,また班田収授法の給田基準とまったく対応せず,正丁以外の次丁・中男にも課されるなどの点で唐とは異なっていた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「課役」の解説

課役
かやく

①律令制下,班田農民の負担する役
令制では調・庸・雑徭 (ぞうよう) をさす。負担する者を課口 (かこう) といい,年齢により少丁・正丁・老丁の三つに分けた。
②中世,荘園領主の徴収する公事 (くじ) ,朝廷・幕府が不定期に課する労役・段銭・棟別銭・兵粮米などをさした。

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世界大百科事典(旧版)内の課役の言及

【課役】より

…その内容は(丁あたり粟2石)と調(丁あたり絹2丈,あるいは麻布2丈5尺,それに付属物として絹糸,綿(まわた)あるいは麻糸が加わる)および役(年間20日間の力役,中央政府が徴発し主都の建設,土木工事等に使われる)の3種よりなる。役は1日当り3尺の絹(あるいは3尺7寸5分の麻布)に換算代納されるのが一般となり,これはと呼ばれ,課役は租庸調を意味するようになった。かように公課が成丁ひとりひとりに賦課されたのは,成丁に田地を分給する均田制が背後に想定されたからであるが,7世紀後期には土地不足等による均田制のゆきづまりが顕在化し,課役以外の地税(所有田土面積に応じて賦課)や税銭(資産等に応じて各戸から徴集)等に公課の比重が移行するようになった。…

【浮浪・逃亡】より

…両者をあわせて〈浮逃〉とも略称される。通説的見解では,律令本来の規定としては,本籍地を離脱した者のうち,他国にあって課役を全部出す場合が浮浪であり,課役を出さない場合が逃亡であるが,現実政治の上では両者はしばしば混同されて扱われた。律令政府は〈浮逃〉に対して厳罰をもってのぞみ,可能なかぎり本籍地への送還をおしすすめたが,715年(霊亀1)に発せられた格によって,それぞれの現住地において戸籍に登録し,そこで課役を負担させるという,実情にあわせた政策に転換したとされている。…

※「課役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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