諸井三郎(読み)もろいさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「諸井三郎」の意味・わかりやすい解説

諸井三郎
もろいさぶろう
(1903―1977)

作曲家。東京生まれ。東京帝国大学美学科在学中より作品を発表し、1927年(昭和2)河上徹太郎らと「スルヤ楽団」を結成し、31年まで7回にわたって作品発表会を開いた。32年山根銀二と雑誌『音楽研究』を創刊。32年より2年間ベルリン音楽大学で作曲を学び、ベートーベンからロマン派までのドイツの作曲法を身につけ、帰国後は創作活動を続けながら、教育にも力を入れた。門下から柴田南雄(しばたみなお)、入野義朗(いりのよしろう)ら優れた作曲家が輩出している。主要作品はピアノ協奏曲、弦楽六重奏曲、幻想曲風オラトリオなど。『機能和声法』、『楽式の研究』全五巻など著書も多い。

船山 隆]

『諸井三郎著『楽式の研究』全五巻(1959~61・音楽之友社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「諸井三郎」の解説

諸井三郎 もろい-さぶろう

1903-1977 昭和時代の作曲家。
明治36年8月7日生まれ。諸井恒平(つねへい)の3男。ベルリン高等音楽学校でまなび,昭和9年帰国。交響曲,協奏曲を作曲,入野義朗,柴田南雄(みなお)らをそだてた。戦後文部省で音楽教育行政にたずさわり,東京都交響楽団長,洗足学園大教授をつとめた。昭和52年3月24日死去。73歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「楽式の研究」など。

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世界大百科事典(旧版)内の諸井三郎の言及

【現代音楽】より

… 日本の〈現代音楽〉の創作と演奏活動は,第2次世界大戦後になって開始される。戦前にヨーロッパに留学した諸井三郎と池内友次郎は,和声法や対位法の基礎を新しい世代の作曲家に伝え,そこから多くの個性的な作曲家が輩出した。また戦後には,旗幟鮮明な創作理念をかかげたいくつかの作曲家グループの活動も開始された。…

【交響曲】より

… 日本では西洋音楽の積極的な輸入の過程で1912年に最初の交響曲(山田耕筰のベルリン留学中の《かちどきと平和》)が書かれた。その後35年ころから諸井三郎や池内友次郎らによって本格的にドイツ,フランスの作曲技法が導入され,概してヨーロッパの最新の動きから若干遅れたアカデミックな作風が伝えられてきた。第2次大戦終了以前には諸井のほか,独自の東洋的和声体系に基づく箕作秋吉らの作品がある。…

※「諸井三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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