讃岐三白(読み)さぬきさんぱく

世界大百科事典(旧版)内の讃岐三白の言及

【香川[県]】より

…しかし,1976年の台風17号による小豆島での災害や,春先から初夏にかけて多い濃霧による船舶事故が多く,国鉄宇高連絡船の紫雲丸事故(1955)などを契機に,本州四国連絡橋瀬戸大橋架橋運動がおこった。
[臨海コンビナートと地場産業]
 古来讃岐三白といわれた砂糖,綿,塩の三大産物のうち,砂糖と綿花は輸入品の出現で衰退し,塩だけが明治以降も発達して日本一の塩所となった。ところが,1971年日本中の塩田が廃止され,工場式のイオン交換樹脂膜製塩法に切り替えられて,香川県も1社1工場に整理統合された。…

【讃岐国】より

…18世紀末には白砂糖の製造が向山周慶らによって始められ,天保初年(1830ころ)には大坂市場で高松藩産の砂糖が5割を占めていたように,白砂糖の代表的な産地となった。この塩・綿・砂糖を讃岐三白といい讃岐の主要な産物であるが,このほか和紙や漆器,金毘羅土産の丸亀団扇(うちわ)などがあった。このように讃岐は各種の商品の生産の盛んな地域であった。…

【讃岐平野】より

…1975年に吉野川の水を讃岐山脈を貫通して導入する香川用水が完成して干ばつのおそれはなくなったが,利水・防災用として溜池の必要性は失われていない。 近世,東部(東讃)でサトウキビ畑と塩田,西部(西讃)でワタ畑が大規模に開かれ,〈讃岐三白〉とよばれた綿,砂糖,塩は高松藩や丸亀藩の重要な財源となった。明治末期に綿花,砂糖の生産は衰微し,最後まで残った塩田も1971年に廃止されて,跡地は工業用地,住宅地などになっている。…

※「讃岐三白」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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