谷中霊園(読み)ヤナカレイエン

デジタル大辞泉 「谷中霊園」の意味・読み・例文・類語

やなか‐れいえん〔‐レイヱン〕【谷中霊園】

東京都台東区にある都立霊園。旧称谷中墓地。明治7年(1874)の開園面積は約10万平方メートル。徳川慶喜横山大観渋沢栄一鳩山一郎長谷川一夫ら著名人の墓が多い。

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日本歴史地名大系 「谷中霊園」の解説

谷中霊園
やなかれいえん

[現在地名]台東区谷中七丁目

明治七年(一八七四)天王てんのう寺境内一万五千一五一坪余を割いて設置された東京府最初の共同墓地。現在は東京都の所管で面積約一〇万平方メートル。天王寺霊園などを合せ谷中墓地と通称される。幕末から明治初年に小笠原諸島の開拓や日本帰属に携わった小花作助の墓(都指定史跡)、幕末から明治初期の画家菊池容斎、幕末の尊攘派公家大原重徳をはじめ、雲井竜雄・渋沢栄一・田口卯吉・川上音二郎・馬場辰猪馬場孤蝶福地桜痴・津田真道・上田敏・川上冬崖・横山大観・沢田正二郎らの墓がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷中霊園」の意味・わかりやすい解説

谷中霊園
やなかれいえん

東京都台東区(たいとうく)北西端にある都立霊園。江戸時代は天王寺の寺域であったが、1874年(明治7)青山雑司が谷(ぞうしがや)、染井(そめい)とともに市民の共同墓地として開園した。面積約10万3000平方メートル。サクラ並木の中央参道を囲んで約6500基の墓碑がある。渋沢栄一、佐佐木信綱(のぶつな)、鳩山一郎(はとやまいちろう)、横山大観、獅子文六(ししぶんろく)、宮城道雄ら著名人の墓が多い。日暮里(にっぽり)駅の南方にあり、散策の地として訪れる人が多い。

[沢田 清]

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世界大百科事典(旧版)内の谷中霊園の言及

【墓地】より


[近代日本の共同墓地]
 近代日本の共同墓地は,パリ,ロンドンの共同墓地にならって,明治初年から,新首都となった東京に設置された。まず明治7年(1874)9月1日,現在の港区の青山霊園,豊島区の雑司ヶ谷霊園および染井霊園,台東区の谷中(やなか)霊園の4墓園が開設された。このうち,青山霊園は旧青山邸跡に設けられ,面積27万3000m2で最も大きく,埋葬者は現在約10万人以上といわれている。…

【谷中】より

…1947年下谷区と浅草区が合併し台東区となる。現在は1874年に旧天王寺境内に開設された都立谷中霊園(面積約10.3ha)で知られるが,その周辺には下町風の閑静な町並みが残り,町域西部に多い古寺や史跡とともに江戸情緒をいまに伝えている。【大石 庄一】。…

※「谷中霊園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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