谷口香嶠(読み)たにぐち こうきょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口香嶠」の解説

谷口香嶠 たにぐち-こうきょう

1864-1915 明治-大正時代の日本画家。
元治(げんじ)元年8月16日生まれ。京都の幸野楳嶺(ばいれい)の塾に入門歴史画にすぐれ,竹内栖鳳(せいほう)らとともに楳嶺門の四天王といわれる。京都市立美術工芸学校,京都市立絵画専門学校でおしえた。大正4年11月9日死去。52歳。大坂出身。本名は槌之助。作品に「山姥」「驟雨」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の谷口香嶠の言及

【円山四条派】より

… 円山四条派は以後も命脈を保ち,近代日本画の確立に大きな役割を果たした。幕末期活躍した画家に円山派の中島来章(1796‐1871)と四条派の塩川文麟(1808‐77)があり,前者の門に川端玉章が現れ,両者に学んだ幸野楳嶺(ばいれい)(1844‐95)は創作とともに教育に力を尽くし,その門から菊池芳文(1862‐1918),三宅呉嶠(ごきよう)(1864‐1919),竹内栖鳳,谷口香嶠(こうきよう)(1864‐1915)ら逸材が輩出した。円山派の森寛斎(1814‐94)や鈴木百年(1825‐91)・松年(1849‐1918)父子も幕末明治期京都画壇の大家として活躍した。…

※「谷口香嶠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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