谷宗養(読み)たに・そうよう

朝日日本歴史人物事典 「谷宗養」の解説

谷宗養

没年:永禄6.11.18(1563.12.3)
生年:大永6(1526)
戦国時代の連歌師無為,半松斎とも号す。連歌界の実力者である谷宗牧の子で,天文11(1542)年には連歌論の『当風連歌秘事』を父から与えられており,後継者たるべく育てられた。宗牧が死に臨んで古今伝授の相伝文書が入った箱に辞世歌を添え,近衛稙家宗養庇護を頼んだことは有名である。宗牧時代からの有力連歌師寿慶,里村昌休が没した天文20年代(1551~55)には連歌界の第一人者となり,近衛稙家,三条西公条,三好長慶らと交際するも早世した。著書に昌休共著の『連歌天水抄』などがあるが,宗養独自の連歌論と呼べるものはほとんどない。<参考文献>木藤才蔵『連歌史論考』下

(伊藤伸江)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷宗養」の解説

谷宗養 たに-そうよう

1526-1563 戦国時代の連歌師。
大永(たいえい)6年生まれ。谷宗牧の子。父にまなび,「東国紀行」の旅に同行するが,天文(てんぶん)14年下野(しもつけ)(栃木県)佐野で父と死別。近衛稙家(たねいえ)の庇護のもと,三条西公条(きんえだ)や三好長慶(ながよし)らと親交をもち連歌界で活躍した。永禄6年11月18日死去。38歳。別号に無為,半松斎。著作に里村昌休との共著「連歌天水抄」など。

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