豊原(読み)とよはら

精選版 日本国語大辞典 「豊原」の意味・読み・例文・類語

とよはら【豊原】

日本領有時代の南樺太(からふと)南東部の地名樺太庁所在地であった。第二次世界大戦後、樺太(サハリン)のソ連領有に伴い、ユジノサハリンスク改称

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デジタル大辞泉 「豊原」の意味・読み・例文・類語

とよはら【豊原】

ロシア連邦、サハリン(樺太)南東部の都市、ユジノサハリンスクの日本領時代の称。樺太庁が置かれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊原」の意味・わかりやすい解説

豊原
とよはら

南樺太(からふと)(サハリン)南東部の都市。1946年(昭和21)以降、ロシア連邦サハリン州の州都。ロシア名ユージノ・サハリンスクЮжно‐Сахалинск/Yuzhno-Sahalinsk(南サハリン市の意)。鈴谷(すずや)(ロシア名ススヤ)川の流れる鈴谷平野のほぼ中央を占める。人口17万9900(1999)。鉄道の東海岸線の一駅で、西へ豊真線を分岐する。鉄道車両、鉱山機械、水産加工用機械、製紙、化学、建材、家具、食品、コンクリートなどの工場があり、教育、林業、商業などの専門学校、科学アカデミー極東科学センター、太平洋海洋・漁業研究所サハリン支部、旧樺太庁博物館を転用した郷土研究博物館などが置かれている。帝政ロシア政府が流刑地・開拓地として、1881年に創設したウラジミロフカ村を市の起源とする。日露戦争後の1905年(明治38)ポーツマス条約により南樺太が日本領となり、06年日本軍が軍用鉄道を敷設した。その終点が当村であったことから、村の南1キロメートルの地点に新市街ができた。1908年、南の亜庭(あにわ)湾に臨む大泊(おおどまり)(コルサコフ)から当地に樺太庁が移転し、周囲防風林を造成した方形地割の都市計画が進められた。1937年(昭和12)市制施行。第二次世界大戦前の人口は3万7160(1942)。1945年8月25日ソ連が占領

渡辺一夫

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百科事典マイペディア 「豊原」の意味・わかりやすい解説

豊原【とよはら】

ユジノ・サハリンスク

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊原」の意味・わかりやすい解説

豊原
とよはら

ユジノサハリンスク」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の豊原の言及

【ユジノ・サハリンスク】より

…人口16万4500(1993)。日本名は豊原。サハリン島南部のススヤ川流域に広がる平野の中央部に位置し,1881年ロシアの流刑移民集落ウラジミロフカとして開かれた。…

※「豊原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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