豊浦町(読み)とようらちよう

日本歴史地名大系 「豊浦町」の解説

豊浦町
とようらちよう

面積:二三三・五四平方キロ

昭和二二年(一九四七)七月虻田あぶた豊浦村が町制施行して成立。胆振支庁管内の西端に位置し、南は内浦湾が広がる。東は虻田町・洞爺とうや村、後志支庁虻田郡真狩まつかり村、北は昆布こんぶ(一〇四五・一メートル)を中心とする山岳地帯を境に同支庁虻田郡ニセコ町に接し、西は同支庁磯谷いそや蘭越らんこし町、同支庁寿都すつつ黒松内くろまつない町、渡島支庁山越やまこし長万部おしやまんべ町に接する。町域を東から貫別ぬきべつ川・小鉾岸おほきし川・礼文華れぶんげ川が流れ、内浦湾に注ぐそれぞれの地に豊浦・大岸おおきし礼文れぶん(礼文華)の市街地が形成されている。海岸には断崖絶壁の地があり、かつて礼文華の難所といわれたが、昭和三年国鉄長輪おさわ(現JR室蘭本線)が礼文華峠一帯に八ヵ所のトンネルを掘って開通、同四一年新国道三七号に全長一一五二メートルの礼文華トンネルが完成。さらに山側には平成九年(一九九七)一〇月に札幌からの道央自動車道が長万部まで開通し、町内に豊浦インターチェンジがある。近世はアブタ場所のうちで、近世末期にレブンゲ場所が独立した。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により胆振国虻田郡所属となる。当町域を含む虻田郡は、同年九月出羽大泉藩の支配地となり、同四年三月仙台藩一門亘理伊達家の伊達邦成の支配地に追加編入されたが、同年八月に開拓使の管轄となった(地方沿革略譜)

豊浦町
とようらちよう

面積:七八・四二平方キロ

豊浦郡の西南部、本州最西端に位置し、町域は南北に長く、西はひびき灘に面する。東は狗留孫くるそん(六一六・三メートル)から、おにじよう(六一九・六メートル)に至る南北に走る豊浦山地稜線菊川きくがわ町に、北は狗留孫山から北西方の海に落ちる断層崖の稜線を境界として豊北ほうほく町に、南は鬼ヶ城山から西に雁行状に連なる地塊と鞍部を通して下関市と接する。東側の山地から西流する諸流の流域田畑がつくられ、河口に浦があるが、おもな河川には北から本郷ほんごう川・犬鳴いんなき川・川棚かわたな川・吉永よしなが川・黒井くろい川などがある。

町の中心は川棚で、ほぼ町の西側を南北に走る国鉄山陰本線と国道一九一号(近世は赤間関―萩を結ぶ北浦道筋)が通る。

豊浦町
とようらまち

面積:三六・三九平方キロ

郡中央部に位置し、北から東は新発田しばた市、南は笹神ささかみ村、西は豊栄とよさか市に接する。町の東部には真木まぎ(七三・五メートル)本田ほんだ(一二四・五メートル)などの丘陵性山地が連なるが、中央部から西部越後平野穀倉地帯の中心をなす水田地帯で、米作・野菜栽培などが盛んである。月岡つきおか温泉・月岡動植物園・旧市島家邸宅などがあり、観光地としても賑う。

豊浦町
とようらちよう

東山区鞘町通五条下ル三丁目

鞘町さやまち通に位置。北は大阪(旧大坂)町。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」鞘屋町通の項に「同(五条下ル)三町目 豊浦町」とある。

町名は、地誌では寛文五年(一六六五)刊「京雀」、地図では承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図が早く、「都すゞめ案内者」などは「といら町」とし、天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」は「とよら」とよむ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊浦町」の意味・わかりやすい解説

豊浦〔町〕
とようら

北海道南西部,内浦湾に面する町。 1947年町制。 1887年植民地区画を行い,山梨県より 93戸が入植して以来農業移住者が増加。豆類,カボチャ,ジャガイモなどの栽培,ホタテガイの養殖が行われる。水産加工場,木工場,砕石工場が立地。北に昆布岳 (1045m) ,東に洞爺湖,西に礼文華 (れぶんげ) 峠があり,風光明美で気候もよい。 JR室蘭本線,国道 37号線が通る。面積 233.57km2。人口 3821(2020)。

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