世界大百科事典(旧版)内の豊竹柳適太夫(2世)の言及
【彦六座】より
…興行ごとに評判が高まったので,寺井安四郎(1853‐1917。のちの2世豊竹柳適太夫)が金主となり,84年1月,博労町稲荷境内(大阪市中央区淡路町の難波神社)の北門に彦六席を開場し,沢の席の一座を移して興行した。翌月から彦六座と改称。…
※「豊竹柳適太夫(2世)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…興行ごとに評判が高まったので,寺井安四郎(1853‐1917。のちの2世豊竹柳適太夫)が金主となり,84年1月,博労町稲荷境内(大阪市中央区淡路町の難波神社)の北門に彦六席を開場し,沢の席の一座を移して興行した。翌月から彦六座と改称。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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