朝日日本歴史人物事典 「豊竹此太夫(2代)」の解説
豊竹此太夫(2代)
生年:享保11(1726)
江戸中期の義太夫節の太夫。大坂堂島の生まれ。通称銭屋左吉。豊竹筑前少掾の門弟。初名豊竹八重太夫。時太夫と改め,宝暦7(1757)年に此太夫を襲名。明和には江戸に下るが,帰坂後北堀江市の側に人形浄瑠璃芝居を建て,座本となる。師の筑前少掾の面影をうつし,愁いの描出に巧みで,滑稽味・即興性のあるものもよかったといわれ,「染模様妹背門松」の「質店の段」,「紙子仕立両面鑑」の「大文字屋の段」,「摂州合邦辻」の「合邦庵室の段」,「桂川連理柵」の「帯屋の段」に特色を残し,今も伝承される。初代は豊竹筑前少掾の前名。
(高木浩志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報