貴ノ浪貞博(読み)たかのなみさだひろ

知恵蔵 「貴ノ浪貞博」の解説

貴ノ浪貞博

大相撲の元力士本名浪岡貞博(ただひろ)。1971年10月27日生まれ、青森県三沢市出身。最高位は大関。通算777勝559敗13休(104場所)、幕内では647勝473敗8休(76場所)で、幕内優勝2回、敢闘賞3回。身長196センチメートル、体重160キログラム(公称、いずれも現役時)の体格を生かした豪快な投げ、つりが特徴で、弟弟子の3代目若乃花、貴乃花(現貴乃花親方)や曙らと共に、平成の大相撲ブームをけん引した。
中学時代に故藤島親方(元大関貴ノ花)からスカウトされ、87年3月の春場所、しこ名を本名の「浪岡」として初土俵を踏んだ。91年の春場所で十両に昇進し、しこ名を「貴ノ浪」に変更。同11月の九州場所で新入幕を果たして力を伸ばし、94年1月の初場所後、同じ71年生まれで同時に幕内力士となった武蔵丸(元横綱、現武蔵川親方)と共に大関に昇進した。大関在位は37場所で、2015年6月時点で史上7位。
初優勝したのは1996年初場所。同部屋の横綱・貴乃花と14勝1敗で並び、優勝決定戦では、相手を自分の後ろに倒す大技「かわず掛け」で破り金星を挙げた。2度目の優勝は、97年九州場所で、この時も、貴乃花との優勝決定戦を制した。
しかし、横綱になることはできず、99年9月の秋場所で足首を痛めて途中休場、カド番となった九州場所で負け越して大関から陥落した。2000年初場所で一度は復帰したものの、再び陥落。その後も幕内で現役を続けたが、04年5月の夏場所前に心臓の不調で入院。同場所には出場したが相撲を続けられず、現役引退を表明した。年寄り「音羽山」を襲名し、貴乃花部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たったが、06年1月末に体調を崩して緊急入院。一時は心停止となったが、奇跡的に回復した。また日本相撲協会では広報などを担当し、15年2月からは審判委員を務めていた。
14年1月から体調を崩し、精密検査の結果、胃がんが見つかり手術、約3カ月の入院後に復帰した。だが15年6月20日、急性心不全のため大阪市内のホテルで倒れ、43歳で死去した。
頭の回転が速く、NHK大相撲中継の解説では冷静に取組内容を分析した。物おじしない性格で、1996年初場所では、土俵下で出番を待つ際に審判委員よりも早く物言いをつけたこともあった。
人望があり、これからの活躍を期待されていただけに、早すぎる死は多くの人に惜しまれた。師匠の貴乃花親方は葬儀告別式で「思いもよらぬ出来事でした。遺志を引き継いでいきます」と無念さを表明。現役時代は58回対戦と長年ライバル関係にあり、引退後は良い関係を築いていたという武蔵川親方は「気持ちの整理がつかない。友達が1人、いなくなってしまった」と別れを惜しんだ。

(南 文枝 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「貴ノ浪貞博」の解説

貴ノ浪貞博 たかのなみ-さだひろ

1971-2015 昭和後期-平成時代の力士。
昭和46年10月27日生まれ。藤島部屋に入門,のち二子山部屋,貴乃花部屋。昭和62年3月初土俵。平成3年3月新十両にのぼり,四股名を浪岡から貴ノ浪に変更。同年11月新入幕。得意手は左四つ,寄り,極め出しなど。深い懐と強い足腰を生かし特異な取り口で,幕内優勝を2度はたした。12年7月には2度目の大関陥落となり,その後は大関復帰はならなかった。平成16年5月引退。幕内通算成績は76場所(大関37場所),647勝473敗,敢闘賞3回。年寄名は音羽山。平成27年6月20日死去。43歳。青森県出身。本名は浪岡貞博。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android