貿易理論(読み)ぼうえきりろん(英語表記)international trade theory
the theory of international trade

改訂新版 世界大百科事典 「貿易理論」の意味・わかりやすい解説

貿易理論 (ぼうえきりろん)
international trade theory
the theory of international trade

貿易理論は国際経済理論の一分科であり,国際収支,とりわけ経常収支の均衡が維持されているという前提のもとで,各国の経常取引(一定期間中の財・サービスの売買および所得の移転)の構造がどのように決定されるか,またそれがいかなる厚生経済学的意義をもつかについて研究する領域である。これに対して,国際収支の均衡がいかにして達成されるかは,国際経済理論のもう一つの分科である国際金融理論の研究課題である。このような貿易理論と金融理論との仕切りは,しばしば国際経済学の〈二分法dichotomy〉と呼ばれている。

 各国の経常収支の均衡は,その国の総支出額,すなわちすべての財・サービスに対する支出額の総和が国民可処分所得(国民総生産と外国からの純移転受取りとの合計)に等しくなることを意味する。人口や生産技術が所与とされる静態の仮定のもとでは,これは人々がその可処分所得を過不足なく消費し,資産を一定不変に保つ定常状態において成立する関係である。定常状態では,貨幣を捨象し,一般均衡分析の手法を用いて国際経済の実物的側面,とくに財・サービスの相対価格の決定を論じることが可能になる。これが貿易理論の基本的構想である。経常収支の不均衡を問題にする国際金融論に比べてより長期の視野に立つ研究領域であるといえよう。その内容は,各国の輸出入構造の決定を論ずる国際分業理論と,関税や輸入割当てなど貿易政策の意義と効果を論ずる貿易政策理論に大別される。

国々はなぜ貿易を行うのであろうか。また,ある国はなぜ自動車や半導体を輸出し,牛肉や小麦を輸入するのであろうか。他の国はなぜ石油や鉄鉱石を輸出し,機械や化学品を輸入するのであろうか。これらの疑問はまた,各国が貿易を行うことによってどのような利益に浴するか,というもう一つの重要な疑問とも密接にかかわっている。国際分業理論はこうした一連の疑問に答えようとするものである。

 異なる国々の間で貿易が行われるのは,端的にいって各国の比較優位,すなわち貿易前の閉鎖経済における均衡相対価格が相互に異なることによる。なぜなら,貿易前の状態で各国の均衡相対価格が完全に同一であるとすれば,定義によってその相対価格のもとですべての財・サービスの需給は各国ごとにバランスし,国際貿易の生じる余地はないからである。それでは,貿易前の相対価格が国ごとに異なるのは何によるのであろうか。一般には,各国の需要条件,供給条件のどちらか,あるいは両方が異なるためというほかはない。しかし,従来の研究では,次のような供給側の条件の相違がとくに重視されてきた。第1に,各国の風土的条件や生産技術体系の違いである。これは,いわゆる比較生産費説(〈比較優位〉の項参照)で考慮された要因である。第2に,各国の生産要素や天然資源の賦存状況の差異である。現代の国際分業理論の主翼をなす要素賦存説では,この要因がクローズアップされている。

 D.リカードが唱えた比較生産費説は労働のみを生産要素とする単純な生産モデルに基づいている。したがって,各国の貿易前の均衡では,財・サービスの相対価格は各部門の生産物1単位当りに必要な労働量(労働生産性の逆数)の比率に等しくなる。そのため,各国は外国に比べて労働生産性が相対的に高い財を輸出することになるといえる。諸部門の比較生産費構造が国際的に異なるのは風土的条件や生産技術体系の国際的相違を反映するものと解釈される。

 これに対して,ヘクシャーEli Filip Heckscher(1879-1952),B.G.オリーンなどスウェーデン学派の先駆的研究に端を発し,P.A.サミュエルソンによってほぼ完成された要素賦存説は,労働以外にたとえば資本,土地などの生産要素の希少性と生産過程への貢献を認め,その賦存状況の相違に貿易パターンの究極的な説明原理を求めるものである。簡単のため,自国と外国が労働,資本という二つの生産要素を用いて衣料,機械という二つの財を生産するものとしよう。この場合,要素賦存説の主張は次のように要約される。もし自国の労働/資本の賦存比率が外国よりも高く,衣料生産の労働/資本の投入比率が機械生産のそれよりも高ければ,自国は衣料に,外国は機械に比較優位をもつ。換言すれば,各国はそれぞれ国内に相対的に豊富に賦存する生産要素を集約的に用いて生産される財・サービスを輸出するということになる。

 この主張は現実の貿易パターンとどれくらい整合的であろうか。たとえば,W.レオンチエフは,アメリカの貿易構造に関する研究(1953)において,アメリカの輸出財が輸入財よりも平均的に労働集約的であることを明らかにし,大きな反響を呼んだ。この研究が対象とした第2次大戦直後の時期において,アメリカは他の国々に比べて資本豊富であると信じられていた。レオンチエフの実証結果はそうした固定観念が誤りであるか,さもなければ要素賦存説の主張が妥当しないことを意味するものであり,〈レオンチエフの逆説〉と呼ばれている。そもそも,要素賦存説そのものはいくつかのきわめて限定的な条件のもとで,すなわち内外の需要条件,生産技術の同一性,各部門の生産関数の一次同次性(規模に関する収穫不変性),要素集約度(労働/資本の投入比率),ランキングの非逆転性,さらには生産要素の国際的不移動性などの条件のもとで導かれたものである。最近の国際分業理論はこれらの限定条件を緩和し,要素賦存説の主張を修正したり,あるいは一般化する方向で発展している。

あらゆる政策論議がそうであるように,貿易政策理論も規範的側面と実証的側面をもっている。前者は一国ないし世界の資源の効率的利用という観点から貿易政策の評価と位置づけを行うものであり,後者はそうした観点をいちおう離れて,個々の政策手段の導入ないし廃止が国際経済の重要な変数にどのようなインパクトを与えるかを分析するものである。前者については,いわゆる〈貿易利益〉をめぐる諸命題や自由貿易対保護貿易の論争が重要である。後者については,関税や輸入割当ての効果分析,とりわけそれらが交易条件,さらには輸出入量などに及ぼす影響の研究が中心的な課題である。

 サミュエルソンの先駆的研究(1939)以来,自由貿易,あるいは関税によって制限された貿易が自給自足の状態に比べて人々の生活水準の向上に役だつことが多くの論者によって明らかにされてきた。しかも,国際価格に対して影響力をもたない小国の観点や世界全体の観点に立った場合,一定の条件のもとで自由貿易が諸資源の効率的利用を達成し,いわゆる〈パレート最適〉の状態をもたらすことが明証されている。これは自由貿易命題と呼ばれ,貿易政策の指導原理として重きをなす自由貿易主義の一つの理論的支柱となっている。

 しかし,自由貿易命題の根底にある諸条件は必ずしも現実的なものとはいえない。第1に,貿易が各国に利益をもたらすという主張は決してすべての人々がいつでも貿易によって潤うことを保証するものではない。実際には,貿易によって利益を受ける者(たとえば輸出産業)も,また損失をこうむる者(輸入代替産業)も存在する。自由貿易命題が厳密に成立するのは,前者から後者へ適当な所得分配が行われる場合だけである。第2に,自由貿易は世界市場で価格支配力をもつ大国にとっては必ずしも最善の策ではない。そのような国は貿易を制限することによって交易条件(輸出価格/輸入価格)を有利化し,貿易利益を拡大することができるかもしれない。これは最適関税論の強調する論点である。第3に,各国の国内市場で完全競争が行われ,外部効果がなく,貿易をしてもしなくても国内の生産力に差異が生じないといった自由貿易論の諸仮定も多くの場合に非現実的である。自由貿易主義に対抗して保護貿易論(〈保護貿易〉の項参照)がしばしば台頭してくるのは,そのためである。保護貿易論の内容はさまざまであるが,国内市場の不完全性を問題にする〈ひずみ論〉と,自由貿易命題の静態的前提を批判する幼稚産業保護論に大別される。

 貿易政策の効果分析は関税政策のそれを中心に展開されてきた。自国が輸入品に関税をかけると,一定の条件のもとで自国の交易条件が有利化し,輸入代替財の国内価格が上昇し,さらに輸入量が減少することが知られている。また,関税の賦課が内外の所得分配に及ぼす効果も種々の場合について詳細に検討されている。たとえば,前述の要素賦存説のモデルでは,関税は国内で相対的に希少な生産要素の実質所得を高め,相対的に豊富な生産要素のそれを低める効果がある(ストルパー=サミュエルソン定理)。貿易政策のもう一つの手段である輸入割当てについては,完全競争のもとでは輸入関税と同一の効果をもつことがわかっている。しかし,この結論は一般にはむしろ妥当しないと考えたほうがよい。輸入割当ては国内市場の独占化を誘発しやすいからである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の貿易理論の言及

【国際経済学】より

…このような環境の差異,制度・政策の独自性などが国際取引の特殊性をもたらしている。 国際取引は生産された財・サービスの取引と生産要素の取引とに大きく分けることができるが,貿易理論は前者の取引に注目し,各国における生産・消費・貿易がどのように行われるかという国際間での資源配分を分析する。貿易理論は,19世紀初めのイギリスにおける貿易利益に関するD.リカードの比較生産費説(〈比較優位〉の項目を参照)にはじまり,その後,生産要素の賦存量の差異から貿易利益を唱える〈ヘクシャー=オリーンの理論〉により発展させられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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