賀田金三郎(読み)かだ・きんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「賀田金三郎」の解説

賀田金三郎

没年:大正11.7.4(1922)
生年:安政4.9.16(1857.11.2)
明治大正期に台湾を中心に活躍した実業家長門国萩(萩市)の札差商人の子に生まれる。少年期には漢学を学び,家業を継ぐが,明治18(1885)年上京して藤田組に入社し,用達業に従事。その後,大倉組に移り,広島支店長を経て,日清戦争直後に台湾総支配人に就任。独立心が旺盛だったためか,のちに大倉組を退社し,32年賀田組を自ら設立,台湾各地に支店を設け,用達,建築請負,運送業を営み,鉄道建設や港湾浚渫などに従事した。活躍の領域は,金融,製糖,鉱業,農業など広い分野におよんだ。日韓併合後は朝鮮にも事業を拡大した。

(中村青志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀田金三郎」の解説

賀田金三郎 かだ-きんざぶろう

1857-1922 明治-大正時代の実業家。
安政4年9月16日生まれ。藤田組にはいり,合併で大倉組にうつり,日清(にっしん)戦争後は大倉組台湾支配人となる。明治30年台湾に駅伝車の会社を設立し,交通事業をはじめた。32年賀田組を組織し,鉄道敷設,港湾修築などの台湾開発事業を推進。大正11年7月4日死去。66歳。長門(ながと)(山口県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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