賤ヶ岳(読み)シズガタケ

デジタル大辞泉 「賤ヶ岳」の意味・読み・例文・類語

しず‐が‐たけ〔しづ‐〕【賤ヶ岳】

滋賀県琵琶湖北岸の山。標高422メートル。

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日本歴史地名大系 「賤ヶ岳」の解説

賤ヶ岳
しずがたけ

木之本町と余呉よご町の境界に位置する標高四二一・九メートルの山。南西は琵琶湖、北は余呉湖に臨み風光明美の地として知られ、琵琶湖八景の一。行基が精舎を建立しようとしたとき山の賤が白髪の老樵夫となって現れ、山谷に響く大音で精舎の守護神とならんといった。そこで大音おおと大明神として祀り、山を賤ヶ岳と称したという(輿地志略)。東麓を北国街道が走る重要地点にあり、天正一一年(一五八三)織田信長没後の主導権争いで羽柴秀吉柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦が、当山から北国街道沿いの木之本、東野ひがしの(現余呉町)などで行われた。

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改訂新版 世界大百科事典 「賤ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

賤ヶ岳 (しずがたけ)

〈しずがだけ〉ともいう。滋賀県北部,長浜市の旧木之本町にある山。標高422m。北は余呉(よご)湖,南は琵琶湖の塩津湾に臨み,山頂からの眺望がすばらしく,〈新雪賤ヶ岳の大観〉として琵琶湖八景の一つに数えられ,琵琶湖国定公園に含まれる。1583年(天正11)羽柴秀吉柴田勝家の軍勢を破った賤ヶ岳の戦古戦場で,山頂の戦跡碑(1878建立)が賤ヶ岳七本槍の武勇を伝えている。塩津湾に面する山梨子(やまなし)は賤ヶ岳の戦の落人集落といわれる。東麓の大音(おおと)から山頂へ登山リフトが通じ,冬の積雪期以外は行楽客でにぎわう。大音と南東麓の西山の両集落は琴糸や三味線糸の産地として知られており,大音にある伊香具(いかぐ)神社はじめ山麓一帯の神社では,今も新年に宮座組織による農事祈願の神事〈おこない〉が盛ん。
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百科事典マイペディア 「賤ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

賤ヶ岳【しずがたけ】

滋賀県琵琶湖北岸,伊香郡木之本町と余呉町の境(いずれも合併し,現在は長浜市)にある山。標高421m。北側に余呉湖を見おろす景勝地で,琵琶湖国定公園に属し,頂上には賤ヶ岳の戦の戦跡碑がある。山麓から登山リフトが通じる。
→関連項目木之本[町]余呉[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賤ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

賤ヶ岳
しずがたけ

滋賀県北部、長浜市(ながはまし)にある山。標高422メートル。北に余呉(よご)湖、南に琵琶(びわ)湖を臨み、北国街道、塩津街道を抑える戦略上の要地であった。1583年(天正11)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉と柴田(しばた)勝家との合戦の場として知られる。琵琶湖八景「新雪、賤ヶ岳の大観」の地で展望に優れ、東麓(とうろく)の木之本町大音(きのもとちょうおおと)から登山リフトがある。なお、賤ヶ岳一帯の山地は長く交通上の障害となっていたが、1927年(昭和2)賤ヶ岳トンネルが完成し東西が結ばれ、現在国道8号が通じている。

[高橋誠一]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賤ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

賤ヶ岳
しずがたけ

滋賀県北部,琵琶湖北岸の長浜市にある山。標高 422m。柴田勝家と羽柴秀吉(豊臣秀吉)が戦った七本槍の古戦場として有名(→賤ヶ岳の戦い)。合戦の旧跡も多い。頂上からの眺望は賤ヶ岳の大観として琵琶湖八景の一つ。

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