赤井景韶(読み)あかいかげあき

改訂新版 世界大百科事典 「赤井景韶」の意味・わかりやすい解説

赤井景韶 (あかいかげあき)
生没年:1859-85(安政6-明治18)

高田事件で検挙された自由民権家。越後国高田藩士出身。1877年徴募巡査として西南戦争従軍。帰郷して代言人となり,81年頸城自由党に加わり,自由民権運動参加した。83年,前年大臣・参議暗殺を計画した際に書いた〈天誅党旨意書〉を証拠として県下の同志三十数名とともに検挙され,内乱陰謀予備罪で重禁獄9年を宣告された。翌年脱獄。途中車夫を殺害して再逮捕され,絞首刑
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤井景韶」の解説

赤井景韶 あかい-かげあき

1859-1885 明治時代の自由民権運動家。
安政6年9月25日生まれ。越後(えちご)(新潟県)高田藩士の子。西南戦争では政府軍に巡査として参加。明治14年郷里の頸城(くびき)自由党にくわわり,16年の高田事件で内乱陰謀予備罪で重禁固9年の判決をうける。服役中脱獄,捕らえられて18年7月27日処刑された。27歳。

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朝日日本歴史人物事典 「赤井景韶」の解説

赤井景韶

没年:明治18.7.27(1885)
生年:安政6.9.25(1859.10.20)
明治期の民権家。越後国高田城下(新潟県上越市)に高田藩下級藩士赤井喜平の子として出生。明治14(1881)年頸城自由党に加盟密偵工作で高田事件(1883)に連座,内乱陰謀予備の廉で下獄,のち脱獄するが,その際殺人を犯し,捕縛され刑死

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の赤井景韶の言及

【高田事件】より

…これに対して当局は,自由党に潜入していた新潟始審裁判所高田支庁検事補堀小太郎の密偵長谷川三郎の報告に基づき,3月20日,政府転覆を計画したとして頸城(くびき)自由党員二十数人をいっせいに検挙し,つづいて5月初旬にかけて北辰自由党員も含めて新潟県下で三十数人を逮捕した。高田支庁は内乱陰謀の容疑でこれを取り調べたが,証拠不十分で大半は不起訴ないし予審免訴となり,同年8月,赤井景韶(かげあき),井上平三郎,風間安太郎の3人のみが国事犯(内乱陰謀予備罪)容疑で東京の高等法院に送られた。82年11月赤井が大臣,参議の暗殺を計画した際,試みに書いた〈天誅党旨意書〉が唯一の証拠とされたのである。…

※「赤井景韶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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