赤塚不二夫(読み)アカツカフジオ(英語表記)Akatuka Fujio

デジタル大辞泉 「赤塚不二夫」の意味・読み・例文・類語

あかつか‐ふじお〔‐フジを〕【赤塚不二夫】

[1935~2008]漫画家。満州の生まれ。本名、藤雄。強烈な個性を持つキャラクターが登場するギャグ漫画で幅広い人気を得る。数々の流行語を生み出し、子供のみならず、大人にも多大な影響を与えた。代表作は「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」など。

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知恵蔵 「赤塚不二夫」の解説

赤塚不二夫

ギャグ漫画の巨匠として知られる漫画家。本名は赤塚藤雄。1935年、旧満州生まれ。2008年8月2日肺炎により死去。代表作は『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』など多数。65年に『おそ松くん』で小学館漫画賞、97年に日本漫画家協会文部大臣賞などを受賞。98年に紫綬褒章を受章。
終戦後の46年、日本へ帰国。奈良県、新潟県で少年時代を過ごす。手塚治虫の『ロストワールド』に影響を受け、漫画家を志した。中学卒業後は地元で就職するが54年に上京。化学薬品工場で工員として働きながら「漫画少年」に投稿を始め、56年に貸本漫画でデビュー。『嵐をこえて』という少女漫画だった。石ノ森章太郎 (当時は石森章太郎)のアシスタントをしていたこともあり、同年、彼の住んでいたトキワ荘に入居して本格的に作品制作を始める。
しばらくアシスタント生活が続くが、58年に「漫画王」にて初の月刊連載『ナマちゃん』を発表。その後短編を制作し、62年から、代表作となる、六つ子が主人公の『おそ松くん』を「週刊少年サンデー」で、女の子が魔法で変身する『ひみつのアッコちゃん』を「りぼん」で連載。さらに67年から『天才バカボン』を「週刊少年マガジン」で、『もーれつア太郎』を「週刊少年サンデー」で連載し始めた。
ナンセンスなギャグが特徴で、パワーあふれる作風は高度経済成長期の時代と相まってサラリーマンからも強い支持を得た。「シェー!」「これでいいのだ!」「ニャロメ!」など、漫画のキャラクターが発するセリフは流行語となり、主要な作品が繰り返しアニメ化された。また、作品には批判や風刺も盛り込まれた。例えば、60年安保闘争後の作品『天才バカボン』などに登場する、すぐにピストルを撃つ「目ン玉つながりのおまわりさん」は機動隊を、『もーれつア太郎』に出てくる「ニャロメ」は全学連を表した。
交友関係が幅広く、才能ある若者を支援したことでも有名。『釣りバカ日誌』の北見けんいち、『総務部総務課山口六平太』の高井研一郎など、赤塚不二夫のアシスタントからデビューし人気漫画家となった者も多い。タレントのタモリや映画監督の山本晋也などをまだ無名の頃に見いだし、デビューの後押しをした。
破天荒な生活でも知られ、飲酒で体を壊した。98年に食道がんを公表。療養のため入退院を繰り返すも、週刊連載などを精力的にこなした。闘病生活中も大好きな飲酒をやめることはなかった。2002年に脳内出血で倒れてからは、ほとんど意識が戻らないままとなっていた。

(富岡亜紀子 ライター / 2008年)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤塚不二夫」の意味・わかりやすい解説

赤塚不二夫
あかつかふじお
(1935―2008)

漫画家。中国(満州)生まれ。第二次世界大戦後まもなく中国から引揚げ、奈良、新潟で育つ。中学卒業後上京し、工員として働きながら漫画を投稿。このころ石森章太郎(石ノ森章太郎)を中心とする「東日本漫画研究会」に参加。また、豊島(としま)区椎名(しいな)町のトキワ荘に移り、石森、藤子不二雄、水野英子(ひでこ)(1939― )らと共同生活をする。1958年(昭和33)、『漫画王』に『ナマちゃん』を連載しヒット。1962年『おそ松くん』を『少年サンデー』に連載、「シェー」「ダヨーン」といった流行語を生み出し大ヒット作となる。その後も『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』『ギャグゲリラ』などの傑作を生み出し、長谷川町子と並んで戦後ギャグ漫画家の象徴的存在となる。土田よしこ(1948―2023)、古谷三敏(ふるやみつとし)(1936―2021)、北見けんいち(1940― )などが赤塚のフジオ・プロから巣立った。1997~1998年(平成9~10)、静岡、東京など全国各地で赤塚不二夫展を開催。そのほかの作品に『笑笑キョンシーズ』『へんな子ちゃん』『狂犬トロツキー』『レッツラゴン』など。

[清水 勲]

 1965年に小学館漫画賞、1972年に文芸春秋漫画賞を受賞。1998年には紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章している。2003年(平成15)に東京都青梅(おうめ)市に青梅赤塚不二夫会館が完成した(2020年閉館)。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤塚不二夫」の意味・わかりやすい解説

赤塚不二夫
あかつかふじお

[生]1935.9.14. 満州,奉天
[没]2008.8.2. 東京,文京区
まんが家。本名赤塚藤雄。満州で生まれ,第2次世界大戦後に当地から引き揚げ,奈良県,新潟県で育つ。新潟県内の中学校を卒業して上京,働きながらまんがの修行を始めた。1956年『嵐をこえて』でデビュー。1962年六つ子を主人公にした『おそ松くん』が爆発的人気を得,まんが家としての地位を確立する。以後,『天才バカボン』(1967),『もーれつア太郎』(1967)などの代表作を次々と発表,ギャグまんが家として活躍した。作品から誕生した「シェー」「これでいいのだ」「ニャロメ」は流行語となった。ほかに『ひみつのアッコちゃん』『レッツラゴン』など。著書に自伝『笑わずに生きるなんて』(1984)などがある。1965年小学館漫画賞,1997年日本漫画家協会文部大臣賞,1998年紫綬褒章を受けた。(→まんが

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百科事典マイペディア 「赤塚不二夫」の意味・わかりやすい解説

赤塚不二夫【あかつかふじお】

漫画家。本名赤塚藤雄。旧満州生れ。手塚治虫の《ロストワールド》を読み漫画家を志す。新潟県四ツ谷中学卒業後,広告看板店勤務をへて上京,化学薬品工場で働く。19歳のころ石ノ森章太郎主宰の同人誌《墨汁一滴》に参加。1956年少女漫画《嵐をこえて》でデビュー。その後,石ノ森の住むトキワ荘に移り,寺田ヒロオ,藤子不二雄らと交わる。1958年《ナマちゃん》を機にギャグ漫画に転身。チビ太・イヤミなど奇妙なキャラクターが生み出す破壊的な笑いを描いた《おそ松くん》をはじめ,《天才バカボン》《もーれつア太郎》などにより1960年代から1970年代にブームを巻き起こした。他に《ギャグゲリラ》《レッツラゴン》などがある。1998年紫綬褒章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤塚不二夫」の解説

赤塚不二夫 あかつか-ふじお

1935-2008 昭和後期-平成時代の漫画家。
昭和10年9月14日満州(中国東北部)生まれ。新潟県の中学を卒業後上京し,投稿をつづける。昭和37年「おそ松くん」が大ヒットし,40年小学館漫画賞。「天才バカボン」「もーれつア太郎」など強烈なキャラクターによるギャグ漫画とおおくの流行語を生みだす。平成9年日本漫画家協会文部大臣賞。平成20年8月2日死去。72歳。本名は藤雄。

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